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眉州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

眉州(びしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から民国初年にかけて、現在の四川省眉山市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

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548年太清2年)、南朝梁により設置された青州を前身とする。554年廃帝3年)、西魏により青州は眉州と改称された[1]562年保定2年)、北周により眉州から青州が分離された。579年宣政2年)、青州は嘉州と改称された[2]

隋代

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初には、眉州は2郡3県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、眉州の属郡は廃止された。605年大業元年)、嘉州は廃止され、眉州に統合された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、眉州は眉山郡と改称され、下部に8県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
眉州 嘉州 眉山郡
斉通郡 青神郡 平羌郡 通義県 丹棱県 青神県
竜游県 平羌県 峨眉県
夾江県 洪雅県
斉通県 洪雅県 青神県 平羌県

唐代

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618年武徳元年)、により眉山郡は嘉州と改められた。619年(武徳2年)、嘉州の通義・丹棱・洪雅・青神・南安の5県が分割されて眉州が置かれた。622年(武徳5年)、南安県は廃止された。628年貞観2年)、陵州隆山県は眉州に移管された。712年先天元年)、玄宗の諱を避けるために隆山県は彭山県と改称された。742年天宝元年)、眉州は通義郡と改称された。758年乾元元年)、通義郡は眉州の称にもどされた。眉州は剣南道に属し、通義・彭山・丹棱・洪雅・青神の5県を管轄した[4]

宋代

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976年太平興国元年)、北宋により太宗の諱を避けるために通義県は眉山県と改称された。993年淳化4年)、洪雅県は嘉州に移管された。眉州は成都府路に属し、眉山・彭山・丹棱・青神の4県を管轄した[5]

元代

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のとき、眉州は嘉定府路に属し、彭山・青神の2県を管轄した[6]

明代以降

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のとき、眉州直隷州は四川省に属し、彭山・丹棱・青神の3県を管轄した[7]

のとき、眉州直隷州は四川省に属し、彭山・丹棱・青神の3県を管轄した[8]

1913年中華民国により眉州直隷州は廃止され、眉山県と改められた。

脚注

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  1. ^ 周書』文帝紀下
  2. ^ 『北周地理志』:北周保定二年分眉州置、宣政二年始為嘉州[要文献特定詳細情報]
  3. ^ 隋書』地理志上
  4. ^ 旧唐書』地理志四
  5. ^ 宋史』地理志五
  6. ^ 元史』地理志三
  7. ^ 明史』地理志四
  8. ^ 清史稿』地理志十六