西本直太郎
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西本 直太郎(にしもと なおたろう、1858年2月7日(安政元年1月10日[1][2][3]) – 1937年(昭和12年)10月20日[1][2][3])は、日本の政治家、弁護士。高知市長。
経歴
[編集]土佐国土佐郡潮江村(現在の高知県高知市)出身[1][2]。独学で法律を学び、代言人試験に合格する[1][2]。のちに弁護士を開業し、高知弁護士会長となる[1]。自由民権運動に身を投じ、塩江村の発陽会に加わった[2]。その後、土佐郡会議員、高知県会議員を経て[1]、1925年(大正14年)に高知市長に就任した[1]。この間、高知新聞社代表社員となり[2]、1921年(大正10年)同社理事長となった[2]。
在任中に下知町と潮江村が高知市に編入され、のちに小高坂村も編入された[1]。高知駅前広場の整備や雑喉場の開設、市内の橋の架設などの都市計画の推進[2]、市役所内への職業紹介所の新設、市立実科女子学校や工芸学校を高等小学校内への併設するなど、様々な施策を行った[1]。
市長は1928年(昭和3年)に退任[1]。1937年に死去した[1][2][3]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。