一圓正興
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一圓 正興(いちえん まさおき、1848年9月5日(嘉永元年8月8日[1][2]) – 1914年(大正3年)9月29日[1][2])は、日本の政治家。初代高知市長。
経歴
[編集]土佐国土佐郡万々村(のち初月村、現在の高知県高知市)出身[2]。明治維新後、御親兵に入り、上京したが、西郷隆盛の征韓論に同調したため、御親兵を脱退、帰郷した[2]。帰郷後は高知県警部、土佐郡書記などを務め[2]、土佐郡朝倉村12ヶ村戸長や学務委員となる[2]。その後、自由民権運動に加わり、立志社創立の発起人の一人となり、浦戸町(高知城下)に結成された修立社の社長となった[2]。1880年(明治13年)4月、広岡町(高知市の一部)自動社75名の総代として国会開設願望書を連名で政府に提出した[1][2]。
1889年(明治22年)市制施行により、初代高知市長となった。在任中は消防組織の改正、戸別割賦課税法の実施、特産品の羽二重の伝習所の設置、伝染病院の開院、市内を流れる鏡川に架ける橋の建設などを進めた[1]。市長は1902年(明治35年)4月までを務め、一度辞任するが、後任の高知市長の伊藤修が病気のため同年9月で辞職[1]。一圓が市長に復帰した[3]。復帰後は市役所庁舎の改築、防火防水対策、教育の振興、産業開発などに力を入れた[3]。また、高知商業会議所や土佐電気の開設にも協力した[1][2]。
2度目の市長は1906年(明治39年)まで務め、退任後は一時朝鮮に渡った。その後は東京に移り、同地で死去した[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。