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取上橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
取上橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 新潟県東蒲原郡阿賀町取上 - 長谷
交差物件 阿賀野川
用途 道路橋
路線名 国道49号標識国道49号
管理者 国土交通省北陸地方整備局新潟国道事務所
施工者 日本橋梁
着工 1966年度(昭和41年度)
竣工 1968年(昭和43年)7月23日
座標 北緯37度44分5.6秒 東経139度19分34.8秒 / 北緯37.734889度 東経139.326333度 / 37.734889; 139.326333 (取上橋)
構造諸元
形式 桁橋
材料
全長 232.650 m
10.600 m
最大支間長 60.000 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道49号標識
国道49号標識

取上橋(とりあげばし)は、新潟県東蒲原郡阿賀町取上 - 長谷の阿賀野川に架かる国道49号(重用・国道459号)の橋長232.65 m(メートル)の桁橋

概要

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  • 形式 - 2径間連続箱桁橋+鋼2径間連続鈑桁橋
  • 橋格 - 1等橋 (TL-20)+雪荷重 (100 kg/m3)
  • 橋長 - 232.650 m
    • 支間割 - (55.500 m + 55.500 m) + (60.000 m + 60.000 m)
  • 幅員
    • 総幅員 - 10.600 m - 11.100 m
    • 有効幅員 - 10.000 m - 10.500 m
    • 車道 - 7.000 m - 7.500 m
    • 歩道 - 両側1.500 m
  • 総鋼重 - 641.212 t
  • 下部工 - 逆T式橋台・円筒張出式橋脚
  • 基礎 - 井筒基礎
  • 床版 - 鉄筋コンクリート
  • 施工 - 日本橋梁
  • 架設工法 - トラッククレーン・引出し工法

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歴史

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会津街道は越後新発田と会津を結んでいたが、津川以西は諏訪峠を経由し現在の国道49号とはルートが異なる。現在の国道49号に相当する津川 - 水原間は、阿賀野川沿いの急峻な地形を行くため冬季は積雪や地すべりのため交通が途絶し夏季に辛うじて通れるほどの道であったため主に阿賀野川を船で行き来していた。現在のルートの前身は1882年明治15年)に福島県令に就任した三島通庸によって改良された若松 - 新潟間のルートである(いわゆる会津三方道路の1つ)。これは1882年(明治15年)8月に着工し1884年(明治17年)8月に完成を迎え郡道に指定された。その後1920年大正9年)4月1日に県道として認定され、道路法改正により1953年昭和28年)5月18日二級国道115号新潟平線となり、1963年昭和38年)に一級国道49号となり同年に直轄区間となった。この区間は当時であっても断崖や地すべり地帯、落石雪崩注意箇所、狭小な幅員、急勾配、冬季の多量の積雪と悪条件が多く冬期には交通が途絶する状態であったことから新潟工事事務所によって一次改築を行うこととなった[3][4]

石間 - 取上間の現道は阿賀野川と山地に挟まれた渓谷を縫うように走るルートであり、現道拡幅案とバイパス案が出され、現道拡幅案は工事規制や施工の難易度、管理性を考慮して却下されバイパス案となった。バイパス案は釣浜橋と取上橋で阿賀野川を渡河するものである。同区間の用地買収は1963年度(昭和38年度)から1969年度(昭和44年度)にかけて行われた。取上橋は右岸の現道取り付け部と現道沿いの人家の補償を少なくし橋長を可能な限り短くするために左岸側を直線で鋼2径間連続鈑桁、右岸側を曲線の鋼2径間連続箱桁とした[3]

2か年国債により1966年度(昭和41年度)に着工し[5]、下部工と取り付け道路を大林組により1966年(昭和41年)3月29日から1967年(昭和42年)6月25日までの工期で、上部工を日本橋梁により1966年(昭和41年)3月26日から1968年(昭和43年)7月23日までの工期で施工された[6]。釣浜橋と共に1967年(昭和42年)12月の竣工を目指していたが、架設中に同年8月の羽越水害のため支保工や架設ケーブルが被災した。また主桁運搬を行う予定であった現道も崩落土砂の堆積や路面の崩落のため工期に大きく影響することになった[7]

参考文献

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脚注

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注釈

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出典

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関連項目

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外部リンク

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