彰徳府
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彰徳府(しょうとくふ)は、中国にかつて存在した府。金代から民国初年にかけて、現在の河南省安陽市一帯に設置された。
概要
[編集]1192年(明昌3年)、金により相州が彰徳府に昇格した。彰徳府は河北西路に属し、安陽・湯陰・臨漳・林慮・輔巌の5県と天禧・永和・豊楽・鶴壁・鄴の5鎮を管轄した[1]。
1265年(至元2年)、モンゴル帝国により彰徳府は彰徳路総管府と改められた。元のとき、彰徳路は中書省に属し、録事司と安陽・臨漳・湯陰の3県と林州、合わせて1司1州3県を管轄した[2]。
明のとき、彰徳府は河南省に属し、直属の安陽・臨漳・湯陰・林の4県と磁州に属する武安・渉の2県、合わせて1州6県を管轄した[3]。
清のとき、彰徳府は河南省に属し、安陽・臨漳・湯陰・林・武安・渉・内黄の7県を管轄した[4]。