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小原弘稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1966年撮影、左より岡田敬二小原弘亘柴田侑宏酒井澄夫阿古健植田紳爾

小原 弘稔(おはら ひろとし、本名・弘亘(ひろのぶ)、1934年 - 1994年3月7日)は、劇作家演出家である。元宝塚歌劇団理事。

宝塚歌劇団の演出家として活躍し、主にレビューやショーの作・演出を手がけた。

略歴

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  • 滋賀県出身[1]
  • 1956年、宝塚歌劇団に入団。
  • 1960年、ミュージカル『新・竹取物語』で大劇場公演としての演出家デビューを果たす。
  • 1974年、グランド・レビュー『イマージュ』から、演出家名を小原弘亘から小原弘稔に変更。
  • 1984年、『ザ・レビューII -TAKARAZUKA FOREVER-』の主題歌は、宝塚歌劇団を代表する楽曲の一つとなり、イベント等で歌い継がれるようになる。
  • 1987年、『ME AND MY GIRL』初演の脚色・演出を手掛ける。異例の1年間ロングラン公演となる。また、新人公演で当時研究科1年(入団1年目)の天海祐希を主演のビルに抜擢した。
  • 1988年、バウホール公演『リラの壁の囚人たち』の脚本・演出を手掛ける。この作品は、1988年の『ツーロンの薔薇』、1991年の『グランサッソの百合』と合わせ、後に「第二次世界大戦レジスタンスシリーズ3部作」と呼ばれている。
  • 同年、ニューヨーク・ラジオシティ・ミュージックホールでの海外公演『タカラヅカ・フォーエバー!』の作・演出を担当する。
  • 1990年、星組大劇場公演『メイフラワー』(芝居)と『宝塚レビュー 90』(ショー)の作・演出を一人で手掛ける。通常、芝居とショーで2部仕立ての構成の場合は、芝居とショーはそれぞれ別の演出家が担当することが通例で、一人で両方を担当するのは極めて稀なケースであった(当初芝居は別の演出家が担当予定が急な退団のため)。
  • 1993年、新・宝塚大劇場公演こけら落とし公演のショー『PARFUM DE PARIS』の作・演出を手掛ける。
  • 1994年、自身が手掛けた『コート・ダジュール』が東京宝塚劇場で上演中に、肺がんのため死去。享年60。天海トップ時代のショーを80周年に担当予定であった。
  • 2014年、『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂表彰[2][3]

主な作品

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大劇場公演(芝居)

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  • 『新・竹取物語』(1960年・雪組)宝塚大劇場デビュー作品
  • 『トランペット・オルフェ』(1962年・月組)
  • 『ブロードウェイ・テンペスト』(1964年・雪組)
  • 『グッドバイ海賊』(1965年・雪・星組合同)
  • 『永遠のスーザン』(1966年・月組)
  • メイフラワー』(1983年・花組、1990年・星組)
  • ME AND MY GIRL[4](1987年・月組)*脚色・演出
  • スパルタカス』(1992年・花組)

大劇場(ショー)

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その他の劇場の公演

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  • 『吹雪の青春-若きアルピニスト達-』(1961年・花・月組合同・宝塚新芸劇場)
  • 榛名由梨ゴールデン・タイム』(1979年・月組・宝塚バウホール
  • 汀夏子サヨナラリサイタル『スター・ザ・サンシャイン』(1980年・雪組・宝塚バウホール)
  • バウ・ショー『榛名由梨ゴールデンタイムII』[8](1985年・花組・宝塚バウホール)
  • 『ジャパン・ファンタジー』(1985年・花組・第5回ハワイ公演第1部)
  • 『ドリームズ・オブ・タカラヅカ』(1985年・花組・第5回ハワイ公演第2部)
  • リラの壁の囚人たち』(1988年・月組・宝塚バウホール)
  • ツーロンの薔薇』(1988年・1990年・雪組・宝塚バウホール)
  • 『タカラヅカ・フォーエバー』(1989年・合同・ニューヨークラジオシティ・ミュージックホール
  • グランサッソの百合』(1991年・星組・宝塚バウホール)

ディナーショー

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  • 涼風真世ディナーショー『スターライト・ファンタジー』(1988年・月組)
  • 一路真輝ディナーショー『ゴールデンメモリー』(1989年・雪組)
  • 紫苑ゆうディナーショー『ワンダフル・ナイト』(1989年・星組)
  • 一路真輝ディナーショー『夢飛行』(1990年)
  • 紫苑ゆうディナーショー『パリ・クルセイダー』(1991年・星組)
  • 紫苑ゆうディナーショー『ジャスト・イン・タイム』(1991年・星組)
  • 朝香じゅんディナーショー『メモリーズ・オブ・ユー』(1991年・花組)
  • 真矢みきディナーショー『MIKI IN PERSON』(1993年・花組)

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.148
  2. ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140111-1242409.html 2022年6月23日閲覧。 
  3. ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0 
  4. ^ 演出をしたのは初演時のみで、以降の再演における演出は三木章雄が担当し、小原は脚色担当としてクレジットされている。
  5. ^ 1971年3月から花組で公演。その後、同年4月からの雪組公演で続演される。
  6. ^ 制作は内海重典
  7. ^ 石田昌也と共同演出
  8. ^ 正塚晴彦と共同演出