今西正子
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今西 正子(いまにし まさこ、7月21日 - )は、元宝塚歌劇団娘役(元星組組長・専科)、宝塚音楽学校顧問。宝塚歌劇団に在団中の芸名は葉山 三千子(はやま みちこ)だが、女優の葉山三千子とは別人[1]。京都市出身。
略歴
[編集]1957年に宝塚歌劇団に入団[2]。44期生[3]。宝塚入団時の成績は52人中38位[4]。初舞台公演の演目は雪組公演『春の踊り[4]』。
1975年から雪組副組長、1976年から月組副組長を務めた後に異動、1979年から1993年まで星組組長を務め、組長と平行して歌劇団の理事職にも就く。
1993年7月29日付[4]で一樹千尋に星組組長を譲り専科に異動。1996年に舞台活動を完全引退後、宝塚音楽学校の副校長に就任。
副校長時代は、96期生のいじめ・退学問題で被害者側の訴えを無視し、加害者側を擁護する態度と取ったと一部で報じられた[5]。
→詳細は「宝塚音楽学校 § 96期生生徒退学問題」を参照
2013年、宝塚音楽学校副校長を定年のため7月26日付で退任。同時に同校の理事と評議員も退任し、同校顧問に就任[6]。
2014年4月、宝塚歌劇100周年を記念して創立され、宝塚大劇場内に開館した「宝塚歌劇の殿堂」[7]の最初の100人のひとりとして、宝塚時代の名葉山 三千子として殿堂入りを果たす[8]。
脚注
[編集][脚注の使い方]
- ^ 両者の活動期間から時系列的には2代目となるが、元々宝塚歌劇と関係ない人物が使用していた芸名を名乗った経緯は不明。
- ^ “宝塚音楽学校副校長が退任”. 四国新聞社. (2013年7月25日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20130725000502 2020年2月27日閲覧。
- ^ yumekandou.com 西村明爾氏『タカラヅカ☆キラキラ人脈』 昭和31年~35年(43期~46期)
- ^ a b c 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、56-57頁。ISBN 9784484146010
- ^ 「宝塚音楽学校:清く正しく美しい「イジメ退学」大騒動」、『週刊新潮』2009年11月9日号、株式会社新潮社、122頁 - 123頁。
- ^ 宝塚音楽学校 今西副校長が退任神戸新聞NEXT>兵庫県内>文化 2013/7/25 18:07
- ^ 宝塚歌劇の殿堂 TAKARAZUKA REVUE HALL OF FAME
- ^ 宝塚歌劇の殿堂 TAKARAZUKA REVUE HALL OF FAME - 殿堂入りされた方々(pdf)
外部リンク
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歴代主演男役・主演娘役・組長・副組長の'・・'は先代次代関係なし、'-'は先代次代関係あり。◎マークは現在宝塚歌劇団に在籍している演出家。 カテゴリ |