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塹江敦哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
塹江 敦哉
広島東洋カープ #36
2015年7月26日 ナゴヤ球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県高松市
生年月日 (1997-02-21) 1997年2月21日(27歳)
身長
体重
178 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2014年 ドラフト3位
初出場 2016年9月11日
年俸 2100万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

塹江 敦哉(ほりえ あつや、1997年2月21日 - )は、香川県高松市出身のプロ野球選手投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。

経歴

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プロ入り前

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高松市立屋島小学校3年生の時に野球を始める[2]香川県立高松北中学校・高等学校への進学を経て、高校1年生時に投手へ転向する[3]と、秋からエースと4番打者を務める。高校時代の最高成績は、2年生夏の香川大会ベスト4で、3年生時の同大会では3回戦で敗退した。

高校3年生時から150km/h台の球速を計測しているストレートなどが評価されて、2014年のプロ野球ドラフト会議では、広島東洋カープから3巡目で指名。契約金4000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した[4][5]。背番号は36

プロ入り後

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2015年、プロ1年目は一軍での登板がなかったが、ウエスタン・リーグ公式戦7試合に登板。1勝1敗、防御率2.45という成績を残した。6月25日には「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」の出場予定選手が変更されたことに伴って、NPB選抜のメンバーに選出[6]。6月29日に神宮球場で催された試合では、3番手投手として3回裏に登板すると、1イニングを三者凡退に抑えた[7]

2016年は、7月14日のフレッシュオールスターゲーム倉敷マスカットスタジアム)にウエスタン・リーグ選抜の8番手投手として8回表から登板する[8]と、イースタン・リーグ選抜の山崎晃大朗を二塁へのゴロに打ち取った際の球速表示で159km/hを記録した。一軍が25年ぶりのセントラル・リーグ優勝を決めた翌日(9月11日)には、対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)の7回裏に、3番手投手として一軍デビューを果たした。しかし、最初に対戦した打者・長野久義への初球でソロ本塁打を打たれたことを皮切りに、打者7人から一死を奪っただけで6点を失って降板した。降板の時点で防御率162.00を記録した[9]ものの、一軍3試合目の登板で初めて先発投手に起用された9月19日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では、5回2失点と好投[10]。ただし、この試合で一軍初黒星を喫するとともに、DeNAに球団史上初のクライマックスシリーズ進出決定を許した。レギュラーシーズン全体では、救援登板の1試合を含めて、一軍公式戦3試合に登板。0勝1敗にとどまったものの、防御率を11.37にまで下げてシーズンを終えた。オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップ日本代表に選出され[11]、同大会で優勝を果たした[12]

2017年2018年は、一軍での登板はなく、2019年、3年ぶりに一軍戦に出場。主に中継ぎとして11試合を投げ、うち1試合は9月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(マツダスタジアム)で先発登板。3回3安打4失点で降板し、チームは7-8で敗れ敗戦投手となった。

2020年は、6月25日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)の7回裏二死から4番手として登板し、丸佳浩をセカンドゴロに打ち取ってプロ入り初ホールドを記録した。7月8日の対DeNA戦(マツダスタジアム)では、8回表に1点ビハインドの場面で2番手として登板して三者凡退に抑え、その裏に堂林翔太満塁本塁打で逆転したためにプロ入り初勝利を記録した。この年は調子の良かった時期にセットアッパーとして起用されるなど52試合に登板。飛躍の1年となった。

2021年は、この年もセットアッパーとして開幕から投球を続けたが安定感を欠き二軍落ち。その後また一軍に上がってしばらくは勝ちパターンを任されることも多かったが満塁本塁打などを打たれたことにより次第に負けパターンへ移っていった。9月9日の対中日ドラゴンズ戦(マツダスタジアム)では、5回表1点リード1死一塁の場面で2番手として登板、初球で遊ゴロ併殺打に抑え勝利投手の権利を得て、6回以降後続が無失点で抑えたため、2003年の林昌樹以来、球団史上4人目の1球勝利投手となった[13]。なお9月29日の対DeNA戦では菊池保則、10月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦では今野龍太が1球勝利を記録しており、同一球団の試合において1か月間に1球勝利投手が3人生まれる珍事となった。51試合に登板して5勝4敗、17ホールド、防御率4.25を記録した。

2022年も投球内容が安定せず、佐々岡真司監督から制球に苦言を呈されることもあった[14]。26試合の登板に留まり、3勝2敗、6ホールド、防御率3.12。5月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(マツダスタジアム)では、前年の1球勝利に続き、1球ホールドも記録した[15]

2023年は、8試合に登板し、0勝0敗、2ホールド、防御率5.14。

2024年、投球フォームを変えて臨んだ春季キャンプでは二軍スタートだったものの2次キャンプから一軍合流、そのまま開幕一軍を勝ち取った[16]。サイドスローから放たれる最速153kmの速球を武器に開幕カードから8試合連続無失点の好リリーフを見せ、4月17日の対DeNA戦(マツダスタジアム)では勝ち越し直後の5回に登板、1回0/3を1安打無失点。後続も無失点に抑えたため2年ぶりに勝利投手となった[17]

選手としての特徴

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最速154km/h[18]のストレートと、スライダーシュートチェンジアップを投げる[19]

2024年からサイドスローに転向した[16][19]

人物

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「6年単位で学業に専念できる」という理由で、香川県立の中・高一貫校である高松北の中学部(高松北中学校)に入学。内部進学を経て、高校時代には、国公立大学への合格を目指す「グローバルコース」の学生として学業でも優秀な成績を収めた。英語検定2級を保持するほど英語に堪能で、高校2年生時の12月には、学校の海外研修でおよそ2週間のニュージーランド留学を経験している[20][21]

「塹江」という苗字は全国的に珍しく[22]、プロ入り以前はゲーム「実況パワフルプロ野球シリーズ」をプレイするとき自分の名前の漢字(塹)がゲーム内に収録されておらず悔しい思いをしたという[23]

趣味はコーヒー新型コロナウイルス流行による外出自粛期間中、自分でコーヒー豆を挽いて飲用するうちに本格的な趣味になったとのこと[24]。気に入った店からしかコーヒー豆を買わない等のこだわりを持っている[25]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2016 広島 3 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 28 6.1 6 2 4 0 1 6 0 0 8 8 11.37 1.59
2019 11 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 95 20.2 20 4 14 0 1 23 0 0 14 14 6.10 1.65
2020 52 0 0 0 0 3 4 0 19 .429 224 49.2 50 7 31 6 1 41 4 0 26 23 4.17 1.63
2021 51 0 0 0 0 5 4 0 17 .556 202 42.1 48 4 25 2 1 29 3 0 25 20 4.25 1.72
2022 26 0 0 0 0 3 2 0 6 .600 73 17.1 13 1 8 1 1 8 5 0 6 6 3.12 1.21
2023 8 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 33 7.0 10 1 3 0 0 10 0 0 4 4 5.14 1.86
通算:6年 151 2 0 0 0 11 12 0 43 .478 655 143.1 147 19 85 9 5 117 12 0 83 75 4.71 1.62
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績

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投手












2016 広島 3 0 1 0 0 1.000
2019 11 1 3 1 0 .800
2020 52 0 14 0 1 1.000
2021 51 1 12 1 1 .929
2022 26 1 5 0 0 1.000
2023 8 0 1 0 0 1.000
通算 151 3 36 2 2 .951
  • 2023年度シーズン終了時

記録

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初記録
投手記録
打撃記録
その他の記録
  • 初登板で対戦した第1打者に被本塁打:2016年9月11日、対読売ジャイアンツ23回戦(東京ドーム)、7回裏無死に長野久義で左越ソロ ※史上70人目
  • 1球勝利:2021年9月9日、対中日ドラゴンズ20回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回裏に2番手で救援登板、2/3回無失点 ※史上43人目(44度目)

背番号

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  • 36(2015年 - )
    • 16(2016,2018 WBSC U-23ワールドカップ日本代表)

代表歴

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日本代表

出典

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  1. ^ 広島 - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2023年11月21日閲覧
  2. ^ 塹江 敦哉|U-23」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』。2021年12月19日閲覧
  3. ^ 四国新聞 2014年10月24日
  4. ^ 香川)高松北・塹江投手、広島カープと仮契約」『朝日新聞DIGITAL』2014年11月16日。2024年4月11日閲覧
  5. ^ 広島ドラ3塹江が仮契約「焦らず努力」」『日刊スポーツ』2014年11月15日。2024年4月11日閲覧
  6. ^ ユニバーシアード 日本代表壮行試合 NPB選抜チーム出場選手変更のお知らせ」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2015年6月25日。2015年6月26日閲覧
  7. ^ 2015年度 侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜 試合結果」『NPB.jp 日本野球機構』2015年6月29日。2016年9月21日閲覧
  8. ^ 2016年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果」NPBオフィシャルサイト、2016年7月14日。2016年9月21日閲覧
  9. ^ 防御率162・00…広島塹江が大野超え?初登板」『日刊スポーツ』2016年9月11日。2016年9月21日閲覧
  10. ^ 広島塹江、初先発5回2失点 防御率11・37に」『日刊スポーツ』2016年9月19日。2016年9月21日閲覧
  11. ^ 「第1回 WBSC U-23ベースボールワールドカップ」に出場する侍ジャパンU-23代表選手が決定」『野球日本代表オフィシャルサイト』2016年10月12日。2016年10月12日閲覧
  12. ^ No. 1 Japan crowned World Champions, defeat No. 15 Australia in Final of WBSC U-23 Baseball World Cup」(英語)、WBSC | World Baseball Softball Confederation、2016年11月6日。2016年11月7日閲覧
  13. ^ 広島塹江敦哉が1球勝利「ラッキーでした」球団史上4人目 03年林以来」『日刊スポーツ』2021年9月9日。2024年4月26日閲覧
  14. ^ 広島・佐々岡監督 3連敗でついに今季初の貯金0 乱調の塹江に「ストライクが入らないと勝負にならない」」『Sponichi Annex』2022年6月5日。2024年4月26日閲覧
  15. ^ 【広島】塹江敦哉が「1球ホールド」ロッテ安田尚憲を初球で二ゴロ併殺 21年は「1球勝利」も」『日刊スポーツ』2022年5月25日。2024年4月26日閲覧
  16. ^ a b 広島・塹江敦哉 フォームとともに変わった自分/待ち遠しかった開幕 | 野球コラム」『週刊ベースボールONLINE』2024年3月28日。2024年4月11日閲覧
  17. ^ 広島・塹江 2年ぶり白星!ハマった新フォーム 開幕から8試合連続無失点 0封リレーの流れ作った1回0/3を無失点」『デイリースポーツ』2024年4月18日。2024年6月9日閲覧
  18. ^ 広島の塹江、154キロ直球強化 23歳サウスポー」『中日新聞Web』2020年4月30日。2024年4月11日閲覧
  19. ^ a b 【広島】連日好救援の塹江敦哉が身につけた「60・9センチ」のマジック」『東スポWEB』2024年3月11日。2024年4月11日閲覧
  20. ^ 広島ドラ3塹江、英語はエース級だった」『日刊スポーツ』2014年12月12日。2016年9月21日閲覧
  21. ^ 「逸材発掘!2014ドラフト候補リサーチ」Vol.1 塹江敦哉(高松北高・投手)語学にも精通する「文武両道」サウスポー」『週刊ベースボールONLINE』2013年12月2日。2016年9月21日閲覧
  22. ^ G江柄子が1位 珍しい名字の野球選手」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2015年2月19日。2017年9月20日閲覧
  23. ^ 野球ゲームでは漢字出ず…広島ドラ3左腕「ひらがなでやっていた」」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2014年10月28日。2017年9月20日閲覧
  24. ^ 【カープ選手の好きなもの#2】塹江敦哉×Coffee」『広島アスリートマガジン』2022年2月12日。2024年4月26日閲覧
  25. ^ FMふくやま「夢を語れACT II 〜頑張るあなたへ〜」2023年1月16日放送分より

関連項目

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外部リンク

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