滝田一希
広島東洋カープ #30 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道寿都郡黒松内町 |
生年月日 | 2001年12月28日(22歳) |
身長 体重 |
183 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2023年 ドラフト3位 |
初出場 | 2024年10月5日 |
年俸 | 1000万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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滝田 一希(たきた かずき、2001年12月28日 - )は、北海道寿都郡黒松内町出身[2]のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]6人きょうだいの5番目として生まれ、母子家庭で育った[3]。黒松内町立黒松内小学校で3年生の時に黒松内スターズで野球を始め、黒松内町立黒松内中学校では軟式野球部に所属していた[4]。
北海道寿都高等学校では1年春からベンチ入りしたが、3年間で甲子園大会出場はなく、人数不足により連合チームも経験した[5]。
高校卒業後は就職する予定だったが、練習を見た星槎道都大学監督の二宮至の目に留まって同大学への進学を勧められ、反対する母を説得して進学した[6]。3年時の2022年5月に母が心筋梗塞で亡くなり、一時は野球を辞めることも考えたが、二宮監督の「プロを目指して、契約金で立派な墓を建てろ」という言葉もあり思いとどまった[3]。同年8月に行われたプロアマ混合のタンチョウリーグにて、福岡ソフトバンクホークス三軍を相手に6回無失点、10奪三振と好投し注目を集めた[6]。
2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、広島東洋カープから3位指名を受け[7]、11月20日に契約金5000万円、年俸1000万円で入団に合意した(金額は推定)[8]。背番号は30[9]。担当スカウトは近藤芳久[8]。黒松内町出身者としては初のプロ野球選手となる[10]。
広島時代
[編集]2024年は、オープン戦から登板機会を与えられ、地元凱旋登板となった3月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)では8回より登板するも、9回に3連続四死球、オープン戦初失点を喫し途中降板。「一生忘れられないイニングになった」と語った[11]。開幕後はウエスタン・リーグに出場し、4月30日の福岡ソフトバンクホークス戦で8回に登板、1回1失点も直後に味方が勝ち越し二軍初勝利[12]を挙げた。シーズン最終戦となった10月5日の東京ヤクルトスワローズ戦(マツダスタジアム)にて、引退登板となった野村祐輔の後を受け2回から一軍初登板。登板前に鼻血を出すアクシデントに見舞われる[13]も、4回1失点の好投でプロ初勝利を挙げた[14][15]。
選手としての特徴
[編集]最速は153km/hのストレートと緩急抜群のチェンジアップを武器とする[16]。
人物
[編集]中学時代、野球審判員を目指していた時期があった。大学の卒論テーマは「審判のストライクゾーンと、投手の思うストライクゾーン」[17]。
大学時代に、エスコンフィールドHOKKAIDOで深夜の清掃アルバイトを行っていた[18]。
好物はオムライス。特別な日には母親の特製オムライスを食べることを好んでいた[17]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2024 | 広島 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 18 | 4.0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.25 | 1.50 |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 18 | 4.0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.25 | 1.50 |
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2024 | 広島 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
通算 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
- 2024年度シーズン終了時
記録
[編集]- 初記録
- 投手記録
- 初登板・初勝利:2024年10月5日、対東京ヤクルトスワローズ25回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表に2番手で救援登板、4回1失点[14]
- 初奪三振:同上、2回表に松本直樹から空振り三振
- 打撃記録
- 初打席:2024年10月5日、対東京ヤクルトスワローズ25回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回裏に山野太一から三振
背番号
[編集]- 30(2024年 - )
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 「広島 - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2024年11月7日閲覧。
- ^ 「星槎道都大学 滝田一希投手 広島から3位で指名」『NHK NEWS WEB』2023年10月26日。2023年11月13日閲覧。
- ^ a b 「「母と挑んだドラフト会議」 広島カープ3位指名 滝田一希投手(星槎道都大)」『IRAW by RCC』2023年11月5日。2023年11月13日閲覧。
- ^ 「滝田一希」『週刊ベースボールONLINE』。2023年11月13日閲覧。
- ^ 「高校時代は連合チームの投手がプロへ 滝田一希、亡き母へ一番に報告」『朝日新聞デジタル』2023年10月26日。2023年11月13日閲覧。
- ^ a b 「「母の死が僕の分岐点」亡き母に誓うプロへの道 ドラフト注目の最速153キロ左腕 星槎道都大・滝田一希 (1ページ)」『TBS NEWS DIG』2023年10月23日。2023年11月13日閲覧。
- ^ 「【ドラフト会議】広島が星槎道都大・滝田一希を3位指名 エスコンFでバイト 急死した母のためにも」『スポニチ Sponichi Annex』2023年10月26日。2023年11月13日閲覧。
- ^ a b 「【広島】ドラ3滝田一希が年俸1000万円で仮契約「いいお墓を建てられれば」天国の母に恩返し」『日刊スポーツ』2023年11月20日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「2024年度 新入団選手発表!」『広島東洋カープ公式サイト』2023年12月13日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「黒松内町から初のプロ野球選手が誕生!滝田一希選手がドラフト指名されました!」『黒松内町』2023年10月27日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【広島】ドラ3左腕が亡き母に“わびた” 北海道凱旋登板も3連続四死球「たぶん、怒ってますよね」」『スポーツ報知』2024年3月14日。2024年7月15日閲覧。
- ^ 「広島・滝田 1軍デビューへ直球勝負 !フォーム微調整で制球力UP「安定してきた」」『デイリースポーツ』2024年5月3日。2024年7月15日閲覧。
- ^ 「広島ドラ3滝田 初登板直前にまさかのアクシデントか アナウンスから5分超登場せず ユニホームには血も」『デイリースポーツ』2024年10月5日。2024年10月6日閲覧。
- ^ a b 「広島・滝田一希、4回1失点でプロ初登板初勝利!」『サンスポ』2024年10月5日。2024年10月5日閲覧。
- ^ 「【広島カープ】ドラ3ルーキー・滝田一希 プロ初登板直前にハプニング…?」『TBS NEWS DIG』2024年10月5日。2024年10月7日閲覧。
- ^ 「【ドラフト】広島が3位で星槎道都大の153キロ左腕・滝田一希を指名!」『スポーツ報知』2023年10月26日。2024年4月7日閲覧。
- ^ a b 「滝田一希が歩み始めたプロ1年目。天国にいる母もずっと見守ってくれている」『Hiroshima Home Television』2024年5月15日。2024年7月15日閲覧。
- ^ 「【広島】ドラ3滝田一希、最愛の母の遺影持参「つらいときは見て頑張る」」『スポーツ報知』2024年1月8日。2024年4月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 滝田一希 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手プロフィール - 広島東洋カープ公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 滝田一希 (@kazuki20011228) - Instagram