ノート:大川内傳七
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大川内の読み方
[編集]大川内の読み方に関して質問です。普通に読むとおおかわちでOKかとも思ったのですが、英語でかかれた本の多くでは Denchishi Okochi, また、1937年発行の Japan Yearbookでは Denshichi Ogochiとなっています。一方、Denshichi Ōkawachi という表記はウェブサイト以外では見つけられませんでした。参考までに、戦後録音と思われるのですが、『比島決戦』という歌の中で「おーこーち」と発音されていてます。Takabeg(会話) 2014年8月28日 (木) 03:47 (UTC)
- 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典(第2版)』191ページの「大川内伝七」で、氏名のヨミが「おおこうち でんしち」となっておりますので、出典として提示して修正しました。--Pooh456(会話) 2020年1月22日 (水) 15:04 (UTC)
美保関の項目に関して
[編集]当時の聯合艦隊参謀で観艦式参謀になっていた木幡行少将の自叙伝によると、大川内砲術参謀は「少し待たれたら如何ですか?」と発言し、参謀長から「なに!将は危地に止まらずという言葉を知らんか。」と語気鋭く言われて大川内参謀は引き下がったそうです。そして、木幡参謀が「部下を危地に残して逃げ出すなんて長官ではない!」と言うと、参謀長「なに!生意気な!」と言われたが長官が「参謀長、只今の信号取り消し。後始末は長官直卒、第一線で当たれ。」と下令された、とあります。大川内伝七のページとどちらが正しいのでしょうか?大川内さんの方の出典はどちらでしょうか?--Yamatonadesiko1942(会話) 2015年9月1日 (火) 13:46 (UTC)