スームィ
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スームィ Суми | |||||
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位置 | |||||
座標 : 北緯50度55分 東経34度45分 / 北緯50.917度 東経34.750度 | |||||
歴史 | |||||
建設 | 1652年 | ||||
行政 | |||||
国 | ウクライナ | ||||
州 | スームィ州 | ||||
ラヨン(地区) | スームィ地区[2] | ||||
フロマーダ | スームィ・フロマーダ[2] | ||||
市 | スームィ | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 145 km2 | ||||
人口 | |||||
人口 | (2021年現在) | ||||
市域 | 259,660人 | ||||
人口密度 | 1,988人/km2 | ||||
備考 | 推計[3] | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
郵便番号 | 40000-40030 | ||||
市外局番 | +380 542 | ||||
ナンバープレート | АА | ||||
公式ウェブサイト : http://www.meria.sumy.ua/ua/ |
スームィ(ウクライナ語: Су́ми [ˈsumɪ] ( 音声ファイル))は、北東ウクライナに位置する都市で、スームィ州の州庁所在地である。
地理
[編集]スームィは、スームィ州の東南、プセール川とスームカ川が合流する地域で位置している。スームィの中心地はプセール川の高い右岸に置かれてある。
歴史
[編集]- 2世紀‐8世紀:東スラヴ人の時代。
- 8世紀‐13世紀:シヴェリャーヌィ族の領土、後にチェルニーヒウ公国の領土となる。
- 13世紀:モンゴル人の侵略によって荒野に変わる。
- 15世紀‐17世紀:モスクワ大公国の領土となるが、ほぼ無人地である。
- 1652年:ウクライナ・コサックの連隊長、ヘラースィム・コンドラチエウがチェルカースィ周辺から移民を引き連れてスームィ町を創建する。
- 1658年:スームィ要塞が築城される。
- 1658年‐1765年:ロシアに属するのスロボダ・ウクライナのスームィ連隊の中央都市として栄える。
- 1765年‐1780年:スロボダ・ウクライナ県の県庁所在地。
- 1835年‐1923年:ハリコフ県内のスームィ郡の中心。
- 1939年:ウクライナ社会主義共和国のスームィ州の州庁所在地となる。
- 1991年:ウクライナが独立する。市は、スームィ州の州庁所在地となる。
- 2022年:ロシアがウクライナに侵攻し、市内でスームィの戦いが行われる。
人口
[編集]2021年国勢調査による人口推計は259,660人[3]。
観光
[編集]- 座の合同庁(17世紀)
- 復活祭の教会(17世紀末)
- 救世主大聖堂(18世紀)
姉妹都市
[編集]注
[編集]- ^ 国末憲人 (2022年6月4日). “ロシアの脅威・欧米への反発‥試練続く国際秩序、結束の広がりが重要”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞. 2022年6月11日閲覧。
- ^ a b “Суми - Сумська область”. decentralization.gov.ua. 2022年6月11日閲覧。
- ^ a b “Чисельність наявного населення України на 1 січня” (PDF) (ウクライナ語). Державна служба статистики України. p. 39 (2021年). 2022年6月11日閲覧。
- ^ 2001年のウクライナ国勢調査
参考文献
[編集]- 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)
- Історія міст і сіл Укр. РСР. Чернігівська область - Київ, 1972.