第百六十五号哨戒特務艇
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第百六十五号哨戒特務艇 | |
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基本情報 | |
建造所 |
船体:林兼重工業 兵装艤装:佐世保海軍工廠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 特務艇 |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,350,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
竣工 | 1945年5月15日 |
最期 | 戦後沈没 |
除籍 | 1947年5月3日 |
その後 | 1947年11月22日解体指令 |
要目(哨戒特務艇・計画時) | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 12センチ噴進砲2門 爆雷12個、魚雷落射機2基 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀三型1基 |
第百六十五号哨戒特務艇[注釈 1](だいひゃくろくじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の66番艇[注釈 2]。戦後沈没した[注釈 3]。
艇歴
[編集]マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の165番艇、仮称艦名第2285号艦として計画。1944年11月5日、第百六十五号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の62番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年4月20日、船体概成により林兼重工業株式会社から佐世保海軍工廠へ引き渡し。5月15日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第二監視艇隊に編入。5月、6月ともに哨戒線への出撃はしていない。
7月1日、第二監視艇隊から削除され舞鶴鎮守府伏木港湾警備隊に編入。
1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められた。5月3日、海軍編制の廃止に伴い除籍された。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令された。
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 本来の艇名表記は第百六十五號哨戒特務艇。
- ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は62番艇、これら4隻を含めると通算で66番艇となる。
- ^ a b 本艇の沈没時の状況は、沈没場所が昭和22年2月1日付 二復総第49号で「横須賀」とある以外不明。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114では「戦後沈没」としているだけで沈没した年月日、場所、原因については触れていない。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省、復員庁
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和20年5月15日付 内令第433号、内令第434号。
- 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第588号。
- 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
- 第二十二戦隊戦時日誌。
- 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
- 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
- 在東京アメリカ極東海軍司令部
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
- (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。