法雲
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法雲 | |
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泰始3年 - 大通3年3月27日 (467年 - 529年4月20日) | |
生地 | 義興郡陽羡県 |
寺院 | 光宅寺 |
師 | 僧印 |
著作 | 法華義記 |
法雲(ほううん)は、中国南朝梁の学僧であり、住んでいた寺の名から光宅とも光宅寺法雲ともいう。僧旻・智蔵と共に梁の三大法師の一人。俗姓は周氏。義興郡陽羡県(江蘇省無錫市宜興市)の出身の人である。
経歴
[編集]- 7歳のとき、鍾山定林寺の僧印について出家して、『法華経』を学ぶ。
- 13歳のとき、荘厳寺に移り、僧宗および僧遠に学ぶ。
- 永明8年(490年)頃、僧柔の講説を聴き、僧旻・智蔵とともに慧次について『成実論』や三論を学ぶ。
- 建武4年(497年)夏、初めて妙音寺で『法華経』『浄名経』を開講して賞賛される。
- 天監10年(511年)、華林園における『法華経』の講説に際し、天花降下の奇瑞を感じた。南京の雨花台はその旧跡とされる。
- 普通6年(525年)、大僧正に任命され、同泰寺に千僧会を設ける。
- 大通元年(529年)、示寂。
人物像
[編集]僧俗との交遊が多く、梁の武帝は光宅寺を創建して法雲を住まわせ、国家の僧とした。
なお、聖徳太子が『法華義疏』製作に際して、光宅法師の『法華義記』を「本義」としたことが有名である。