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日高剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日高 剛
阪神タイガース 二軍バッテリーコーチ #84
阪神タイガース現役時代
(2013年6月5日、阪神鳴尾浜球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市小倉北区
生年月日 (1977-08-15) 1977年8月15日(47歳)
身長
体重
182 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1995年 ドラフト3位
初出場 1998年4月16日
最終出場 2014年6月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

日高 剛(ひだか たけし、1977年8月15日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手捕手)。右投左打。

2019年より阪神タイガースのファームコーチを務める。[1]

経歴

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プロ入り前

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ソフトボールで体が大きいからと捕手を務めてから、一貫して捕手として活動した[2]

九州国際大付高校では2年次に捕手、4番打者として1994年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、九州工に敗退し、翌年も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。

1995年のプロ野球ドラフト会議で、オリックス・ブルーウェーブから3位指名を受け入団した。

オリックス時代

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3年目の1998年中嶋聡西武ライオンズFA移籍し、三輪隆プロ野球脱税事件により出場停止というチーム状況に伴い一軍昇格。その後、三輪復帰までの正捕手を期待された高田誠の打撃不振もあり、それまで一軍出場は1試合もなかったが強肩とパンチ力のある打撃を武器に正捕手となった。しかし、打撃はパンチ力がある一方で確実性に欠け、常時バスター打法をするなど試行錯誤をしたが2割前後の低打率が続いた。

2001年は打率.247を残し、打撃面の向上を見せた。

2002年は打率.193に低下したが初の2桁となる12本塁打を放ち、チーム唯一の長打力がある日本人選手という信頼を得た。

2003年は初めて打率.250を超え、翌シーズンの2004年は後半戦打撃好調で自己最高の打率.275を残したが、この2年間は投手陣が崩壊し、特に2003年にはチームがプロ野球史上最低のチーム防御率5.95、シーズン927失点を記録するなど、正捕手として配球面での責任を問われた。この年のシーズンオフには大阪近鉄バファローズとの球団合併に伴う新球団東北楽天ゴールデンイーグルスとの分配ドラフトを経て引き続きオリックスと契約。

2005年、開幕戦で6回表に松坂大輔からチーム初安打となる二塁打を放ち、オリックス・バファローズとしての初安打を記録した。ライバルとして旧大阪近鉄バファローズの正捕手であった的山哲也が移籍してきたが正捕手は譲らず、強力になったリリーフ陣を引っ張り守備面での信頼を回復した。シーズンでの打率は.217、本塁打は1本のみと打撃成績を落とした。

2006年は先発出場が初めて100試合を超え、4割以上の盗塁阻止率を記録した。同年FA権を取得し、オフにFA宣言。地元球団であり当時捕手選手層が薄かった福岡ソフトバンクホークス、控え捕手に不安のある読売ジャイアンツが獲得に動くのではないかと噂されたが、他球団からのオファーはなくオリックスに残留した。

2007年は、新監督のテリー・コリンズのシーズン当初の構想から外れ、自身も打撃不振で9月末にやっと2割台に乗せるほどの低打率に終わった。

2008年は前半戦は3割近い打率を維持し、5月25日の横浜戦では1試合5安打を記録。同年のオールスターにも出場、第2戦でマーク・クルーンが投げた161km/hの速球を右中間スタンドに運ぶ本塁打を放った。自己最多の134試合に出場し、プロ13年目で初の規定打席到達となったほか、6年ぶりの2桁本塁打となる自己最多の13本塁打、打率.269、チームトップの18犠打と自己最高の打撃成績を記録した。一方で、捕手としてリーグワーストの6失策、盗塁阻止率も規定試合数に到達した捕手の中では両リーグ通じて最低の.221に終わった。

2009年、前任の北川博敏から指名を受け選手会長に就任し、4月23日の西武戦では9回裏に大沼幸二から自身初となるサヨナラ本塁打を放つ(エイと打ったらピョーンと入ったとコメント。またこの日は、チーム13年ぶりのトリプルプレーも達成している)[3]。4月は勝負強さを発揮する等打撃好調だったが、5月中旬からは一転し、正捕手としてはチームの深刻な投壊を阻止できずにチーム防御率は悪化、更に7月7日に右太もも裏痛で登録抹消[4]。8月23日に復帰するも復調せず、2000年から続けてきた100試合出場もこの年で途切れた。

2010年は、正捕手として開幕ダッシュに貢献するも、この年監督に就任した岡田彰布から配球面で酷評されることが多く、開幕25試合目となった4月23日の日本ハム戦で、シーズン15度目の2桁被安打となる13安打11失点を記録し、翌日に早くも二軍降格となった[5]。6月30日の楽天戦で、9回裏に川岸強から逆転サヨナラ2ランを放ったものの[6]、再び配球面で岡田から不興を買う場面が多くなり、7月18日に二軍降格[7]。3度の二軍降格もあって79試合の出場に留まった。一方で打撃では打率.279、6本塁打という成績を残した。

2011年伊藤光鈴木郁洋が主に先発マスクとして起用され、第三捕手の座もロッテから移籍した齋藤俊雄に奪われたため、捕手としての出場は5試合、先発マスクをかぶったのは4月14日のソフトバンク戦のみであった。打撃も大スランプに陥り1998年の一軍定着以降では自己最少の26試合の出場で、わずか3安打、打率.068に終わり二軍でも打率.182、2本塁打に終わった。

2012年は開幕二軍スタートとなり、5月2日に一軍登録されるも、代打・指名打者としての出場がほとんどだった。5月25日の広島戦で、1点を追う9回裏一死に代打として出場すると、デニス・サファテから2年ぶりの本塁打となる同点ソロ本塁打を放ち、チームのサヨナラ勝ちに大きく貢献した。6月2日の巨人戦では、4年ぶりの三塁打となる適時三塁打を放ったが、その後は打撃不振に陥り、打率を1割台にまで落ち込んだことで6月26日に登録抹消された。8月21日に、前の試合で投手陣の崩壊を招いた責任で同時に二軍降格となった伊藤・斉藤と入れ替わりで、横山徹也と共に昇格し、8月23日の試合でシーズンで初めて先発マスクを被ると、8月26日の西武戦では途中加入のアレッサンドロ・マエストリの来日初完投勝利、9月5日のロッテ戦では前田祐二のプロ初先発初勝利を導く等、随所で好リードを見せた。最終的には54試合出場し、打率は1割台から.239に持ち直すなど正捕手奪還の足がかりとなった。

同年オフ、海外FA権を行使。11月27日に阪神タイガースに移籍した[8]

阪神時代

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2013年は、開幕から一軍に登録されると、打力を生かすべく左の代打に起用されたほか、この年から先発投手に転向した榎田大樹が登板する試合を中心に、先発マスクを任されていた。しかし7月6日の対広島戦(マツダスタジアム)6回表の守備中に、三塁側のファウルゾーンに上がったフレッド・ルイスの飛球を追跡中に、三塁手新井良太と激突したため交代。激突の影響で左大腿四頭筋を損傷したため、翌日から戦線を離脱し、およそ2か月にわたって治療とリハビリに専念した。一軍44試合の出場で終わったが、このシーズンで、NPB通算打率ランキングの対象となる4000打数に到達した。

2014年は、横浜DeNAベイスターズから移籍したベテラン捕手・鶴岡一成や、新人捕手・梅野隆太郎の台頭で一軍公式戦への出場機会が激減し、10月3日に現役引退を発表した[9]。11月6日付で任意引退選手として公示された[10]

現役引退後

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引退後も球団に残り、2014年12月26日付で球団本部編成部に配属され、他のプロ野球球団所属選手を調査する「プロスカウト」として活動した[11]

2017年に企画担当へ異動。[12]

阪神球団が「トラックマン(投球や打球の軌道を測定する機器)」を導入した2018年シーズンからは、テクニカルアドバイザーを務める和田豊らと共に、トラックマンで計測されたデータの分析を担った[13]

2019年、分析チームでの執務経験が評価され、ファーム育成兼分析担当コーチに抜擢[14]。背番号は84[15]

トラックマンを用いて分析を行う日高コーチ

2020年、ファーム打撃兼分析担当コーチへ配置転換[16]。現在に至る。

選手としての特徴

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パンチ力を秘めた打撃と強肩が魅力の捕手[17]。打撃では低打率にあえぐシーズンも多く、2002年には確実性を求めてバスター打法に挑戦することもあった[17]。オリックス時代は長らく正捕手として活躍[17]、阪神時代は主に代打や榎田大樹の専属捕手を務めた[17]

打撃力が低いといってもそれはあくまで2000年代の打撃型捕手時代においてのことである。例えば規定打席に到達した2008年の打率、本塁打は当時としては「打てない捕手」の打撃成績とされたが、2020年代の「打てない捕手」と比べれば十分高い成績である[18]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1998 オリックス 78 197 180 16 41 10 0 2 57 14 1 1 5 0 11 0 1 42 3 .228 .276 .317 .593
1999 96 267 239 22 44 12 0 3 65 31 0 1 9 3 13 0 3 50 3 .184 .233 .272 .505
2000 101 307 256 31 52 9 0 6 79 34 1 1 11 2 35 0 3 34 6 .203 .304 .309 .613
2001 129 420 376 33 93 15 3 8 138 37 1 2 16 2 22 0 4 63 6 .247 .295 .367 .662
2002 124 377 336 34 65 14 2 12 119 36 1 0 9 0 29 2 3 65 7 .193 .264 .354 .618
2003 118 355 321 29 86 14 2 9 131 37 0 1 10 3 16 0 5 69 3 .268 .310 .408 .718
2004 114 375 324 42 89 18 2 5 126 38 0 2 16 4 29 2 2 43 9 .275 .334 .389 .723
2005 103 297 253 20 55 17 0 1 75 31 1 1 19 2 23 2 0 51 4 .217 .281 .296 .577
2006 115 349 304 23 73 11 0 1 87 29 3 0 11 2 28 0 4 53 8 .240 .311 .286 .597
2007 109 282 253 19 51 15 0 5 81 25 0 0 14 3 10 1 2 43 7 .202 .235 .320 .555
2008 134 474 417 44 112 27 1 13 180 47 1 4 18 3 28 3 8 67 11 .269 .325 .432 .756
2009 93 315 295 22 75 15 0 5 105 34 1 2 2 2 13 0 3 36 12 .254 .291 .356 .647
2010 79 243 219 18 61 9 0 6 88 24 0 0 4 1 18 1 1 25 8 .279 .335 .402 .737
2011 26 50 44 1 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 5 0 1 12 1 .068 .180 .091 .271
2012 52 122 117 4 28 5 1 1 38 8 0 0 1 1 3 0 0 33 1 .239 .256 .325 .581
2013 阪神 44 100 97 9 28 3 0 2 37 7 1 0 0 0 2 0 1 16 0 .289 .310 .381 .691
2014 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 --- --- --- ---
通算:17年 1517 4530 4031 367 956 195 11 79 1410 434 11 15 145 28 285 11 41 702 89 .237 .292 .350 .642

年度別守備成績

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捕手






















1998 オリックス 76 317 38 3 5 6 .992 47 31 16 .340
1999 94 404 71 6 11 1 .988 82 54 28 .341
2000 101 533 48 2 10 6 .997 64 42 22 .344
2001 127 822 65 9 10 7 .990 94 65 29 .309
2002 110 658 53 1 11 4 .999 64 40 24 .375
2003 108 649 64 4 16 4 .994 111 78 33 .297
2004 113 643 60 3 17 3 .996 73 46 27 .370
2005 103 556 32 4 9 1 .993 53 38 15 .283
2006 112 525 54 4 7 0 .993 64 38 26 .406
2007 107 561 51 1 4 1 .998 78 52 26 .333
2008 129 782 57 6 5 2 .993 86 67 19 .221
2009 87 523 37 2 6 1 .996 60 46 14 .233
2010 73 441 34 2 1 1 .996 64 48 16 .250
2011 5 12 2 0 0 0 1.000 2 2 0 .000
2012 31 166 15 0 4 0 1.000 27 20 7 .259
2013 阪神 36 147 14 0 4 0 1.000 13 10 3 .231
2014 2 4 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
通算 1414 7743 695 47 120 37 .994 983 678 305 .310

記録

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初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

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  • 47(1996年 - 2003年)
  • 7(2004年)
  • 27(2005年 - 2012年)
  • 37(2013年 - 2014年)
  • 84(2019年 - )

脚注

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  1. ^ 日高剛ファーム育成兼分析担当コーチ就任会見”. 阪神タイガース. 2022年3月13日閲覧。
  2. ^ 「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、20-21頁。
  3. ^ “日高「エイッ」と人生初サヨナラ弾!”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年4月24日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/04/24/kiji/K20090424Z00001580.html 2013年5月1日閲覧。 
  4. ^ “オリックス痛い…日高を抹消「オールスター明けには…」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年7月7日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/07/07/kiji/K20090707Z00000770.html 2013年5月1日閲覧。 
  5. ^ Bs岡田監督「打たれ過ぎ」11失点…日高2軍落ち”. スポニチ Sponichi Annex 大阪 (2010年4月23日). 2010年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月3日閲覧。
  6. ^ “監督は任せてくれた オリックス 干された女房 逆転サヨナラ弾”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年7月1日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/07/01/kiji/K20100701Z00002510.html 2013年5月1日閲覧。 
  7. ^ Bs小松、炎上4回8失点…日高2度目の2軍降格”. スポニチ Sponichi Annex 大阪 (2010年7月18日). 2010年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月3日閲覧。
  8. ^ “【阪神】FA日高が入団会見 背番号37”. 日刊スポーツ. (2012年11月27日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121127-1052482.html 2013年7月15日閲覧。 
  9. ^ 日高剛選手が現役引退を発表球団公式サイト2014年10月3日配信
  10. ^ 2014年度 任意引退選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月6日閲覧。
  11. ^ 日高氏プロスカウト、久保田氏は打撃投手 日刊スポーツ、2014年12月26日閲覧
  12. ^ 阪神日高剛2軍コーチが就任会見「今はワクワク」 - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年3月13日閲覧。
  13. ^ 阪神和田TAトラックマンチーム加入 優れた分析力”. 日刊スポーツ (2017年11月23日). 2017年11月23日閲覧。
  14. ^ 阪神 来季1、2軍コーチングスタッフ発表 2軍コーチに日高剛氏が新加入”. スポーツニッポン (2018年10月22日). 2018年10月22日閲覧。
  15. ^ 日高剛ファーム育成兼分析担当コーチ就任会見”. 阪神タイガース球団HP (2018年10月22日). 2018年10月22日閲覧。
  16. ^ 2020年度 監督・コーチについて”. 阪神タイガース球団HP (2019年11月19日). 2019年11月19日閲覧。
  17. ^ a b c d 日高剛”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2021年8月29日閲覧。
  18. ^ 【なぜ打てないの?】"打てるキャッチャーが少ない問題"に里崎が切り込む!! Satozaki Channel 2023/06/04 (2023年6月4日閲覧)

関連項目

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外部リンク

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