古平郡
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古平郡(ふるびらぐん)は、北海道(後志国)後志総合振興局の郡。
人口2,601人、面積188.36km²、人口密度13.8人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。
歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]江戸時代、古平郡域は和人地となる。松前藩によってフルビラ場所が開かれていた。陸上交通は、余市から古平境界までの2里(7.9km)余の道を余市場所請負人竹屋長左衛門が開削している。
江戸時代後期の文化4年には古平郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩の領に戻された。弘化4年恵比須神社が創建される。安政2年古平郡域は再び天領となり庄内藩の警固地となっている。安政5年禅源寺が開山している。慶応3年5月には琴平神社が鎮座。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して古平郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
[編集]- 明治2年8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、後志国および古平郡が設置される。開拓使が管轄。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第5大区
- 1小区 : 沖村、沢江村、歌棄村、浜中村
- 2小区 : 入船町、新地町、垂美村、群来村
- 第5大区
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての古平郡が発足。同年浜中村を浜町、垂美村を港町と改称。新地町および入船町の各一部から丸山町が分町。
- 明治13年(1880年)3月 - 古平郡外二郡役所(古平美国積丹郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治22年(1889年)1月 - 小樽郡外六郡役所(小樽高島忍路余市古平美国積丹郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、小樽支庁の管轄となる。
- 明治35年(1902年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、浜町、港町、入船町、丸山町、新地町、群来村、沖村、沢江村、歌棄村の区域をもって古平町(二級町)が発足。(1町)
- 明治40年(1907年)4月1日 - 古平町が北海道一級町村制を施行。
- 明治43年(1910年)3月1日 - 小樽支庁が廃止され、後志支庁の管轄となる。
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道後志支庁の管轄となる。
- 平成22年(2010年)4月1日 - 後志支庁が廃止され、後志総合振興局の管轄となる。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 1 北海道