南平台町
南平台町 | |
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町丁 | |
北緯35度39分16秒 東経139度41分46秒 / 北緯35.654375度 東経139.696083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 渋谷区 |
地域 | 渋谷地域 |
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]) | |
人口 | 2,082 人 |
世帯数 | 1,131 世帯 |
面積([2]) | |
0.13876405 km² | |
人口密度 | 15003.89 人/km² |
郵便番号 | 150-0036[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 品川 |
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南平台町(なんぺいだいちょう)は、東京都渋谷区の町名。丁目の設定のない単独町名である。住居表示実施済区域。
地理
[編集]東京都渋谷区の南西部、渋谷駅南西の丘陵地に位置しており、広義の渋谷エリアの一部である[注釈 1]。道としての道玄坂の南側に当たる。北側は町名としての区内道玄坂と、玉川通り(国道246号)を境界に同神泉町に向き合う。東部は同桜丘町、南部は同鉢山町や鶯谷町に隣り合う。西部は、旧山手通りを境界として目黒区青葉台に接する。
明治半ば頃から「南平台」という地名が用いられていたが、1932年(昭和7年)「南平台町」に改称した[5]。近年はマンションなど集合住宅が多数建設され、大企業が所有して研修施設などとしている地所もみられる。また、幹線道路沿いや渋谷駅寄りの地域にはオフィスビルも多い。
地価
[編集]住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、南平台町19-18の地点で194万円/m2となっている[6]。
歴史・人物
[編集]明治半ば以降から邸宅街として発展した。外交官内田定槌の洋館は、現在、重要文化財として横浜の山手イタリア山庭園に移築保存されている[5]。終戦時に陸相阿南惟幾らと共に自刃した海軍軍令部次長大西瀧治郎の次長官舎が、セルリアンタワー南西側の現在の東急本社界隈の地にあった。
さらに、内閣総理大臣(自由民主党総裁)を務めた岸信介と三木武夫の私邸があった。前者は1940年代にこの地に居住し、60年安保闘争の際にデモ隊に包囲される騒ぎとなった。後者は現存しており、かつては三木武夫記念館として一般公開されていたが、2012年(平成24年)4月末をもって閉館した。
また岸信介邸の隣には統一教会本部があり、相互に交流があったとされている[7][注釈 2]。
文化人では、かつて住んでいた映画監督の市川崑が映画関係者から「南平台」と呼ばれており、旧宅が「市川崑記念室」となっている[8]。脚本家で鉄道愛好家の関沢新一も同地に居住した。また、山階鳥類研究所が1932年(昭和7年)から1984年(昭和59年)までこの地にあった。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[9] | 1,250
|
2000年(平成12年)[10] | 1,291
|
2005年(平成17年)[11] | 1,657
|
2010年(平成22年)[12] | 1,674
|
2015年(平成27年)[13] | 1,789
|
2020年(令和2年)[14] | 2,030
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世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[9] | 593
|
2000年(平成12年)[10] | 638
|
2005年(平成17年)[11] | 865
|
2010年(平成22年)[12] | 896
|
2015年(平成27年)[13] | 956
|
2020年(令和2年)[14] | 1,122
|
学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[15]。
交通
[編集]地域内に鉄道駅はないが、渋谷駅や代官山駅、神泉駅、池尻大橋駅が徒歩圏内にある。
町内にはハチ公バス、東急トランセが運行する代官山循環のバス停があるほか、至近の道玄坂上バス停は東急バスの多数路線が発着する。
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[16]。
- 事業所数 : 365事業所
- 従業員数 : 15,805人
事業者数の変遷
[編集]経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[17] | 284
|
2021年(令和3年)[16] | 365
|
従業員数の変遷
[編集]経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[17] | 9,467
|
2021年(令和3年)[16] | 15,805
|
施設
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別) 令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年1月20日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “南平台町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b BUNKA|AREA 南平台エリア 渋谷文化project 2009年
- ^ “国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2024年11月2日閲覧。
- ^ 久保木修己『愛天愛国愛人 ─母性国家、日本のゆくえ─』 世界日報社, 1996年 pp.107-112
- ^ 市川崑記念室(2018年3月14日閲覧)
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “住所別通学区域一覧”. 渋谷区. 2024年1月20日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。