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前田宗辰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
前田宗辰
前田宗辰
時代 江戸時代中期
生誕 享保10年4月25日1725年6月5日
死没 延享3年12月8日1747年1月18日
改名 勝丸、犬千代(幼名)→利勝(初名)→宗辰
別名 又左衛門(通称
戒名 大応院殿梅観雪峯大居士
官位 正四位下、左近衛権少将佐渡守、加賀守、左近衛権中将
主君 徳川吉宗家重
加賀藩
氏族 前田氏
父母 父:前田吉徳、母:浄珠院(上坂以与)
兄弟 宗辰重熙利和重靖重教利実治脩、喜代(浅野宗恒正室)、総(前田利幸正室)、楊(佐竹義真正室)、暢(酒井忠宜正室)
正室:松平正容の娘・常姫梅園院
養子:重煕
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前田 宗辰(まえだ むねとき)は、加賀藩の第6代藩主。加賀前田家7代。先代藩主・前田吉徳の長男。母は側室の浄珠院(上坂以与)。幼名は勝丸、犬千代。通称は又左衛門。初名は利勝(としかつ)。正室は会津藩主・松平正容の娘・常姫(梅園院)。続く4代の藩主(重煕重靖重教治脩)の異母兄・長兄にあたる。

来歴

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享保10年(1725年)、金沢の金谷御殿にて生まれる[1]。幼名は勝丸。同年、松平の名字を与えられる[2]元文元年(1736年)9月江戸に上り、翌年4月、名を犬千代と改めた後、通称を又左衛門、を利勝とする。6月、正四位下・左近衛権少将に任じられ、佐渡守と称し、将軍・徳川吉宗より偏諱を受けて宗辰と改めた。延享元年(1744年)4月、会津藩松平正容の娘・常姫と結婚する。延享2年(1745年)6月、父吉徳の死により家督を継ぐ。同年10月に左近衛権中将となり、加賀守と称する。11月、正室常姫が男子を出産するが、母子ともに死去した。自身も翌延享3年(1747年)12月に22歳で死去した。その跡を宗辰の次弟の利安(重煕)が継いだ。

系譜

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  • 父:前田吉徳(1690年 - 1745年)
  • 母:上坂以与、浄珠院 - 上坂喜信の娘
  • 正室:常姫、梅園院 - 松平正容の娘
  • 養子

脚注

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  1. ^ 以下、『加賀藩史料』。
  2. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』。