内藤 政吉 (ないとう まさよし)は、江戸時代前期の旗本。 天正16年(1588年)、内藤忠政の三男として生まれる。慶長12年(1607年)、徳川秀忠に拝謁し書院番となり、のちに徳川忠長の傅役となる。 寛永6年(1629年)12月28日、布衣を許される。寛永9年(1633年)、忠長が改易となると秋田俊季に預けられ、寛永17年(1640年)12月10日から兄の忠重の預かりとなる。のちに許された。 万治2年(1659年)5月26日に死去。享年72。孫の内藤正勝は大名となり、信濃国岩村田藩主として幕末に至った。