諦子内親王
鎌倉時代の皇族・女院
諦子内親王(ていしないしんのう、建保5年3月22日(1217年4月29日) - 寛元元年3月29日(1243年4月19日))は、鎌倉時代の皇族・女院。順徳天皇の皇女で、母は九条立子(東一条院)。仲恭天皇の同母姉。女院号は明義門院(めいぎもんいん)。
諦子内親王 | |
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続柄 | 順徳天皇皇女 |
全名 | 諦子(ていし) |
称号 | 明義門院 |
身位 | 内親王、准三宮 |
出生 |
建保5年3月22日(1217年4月29日) |
死去 |
寛元元年3月29日(1243年4月19日)(享年27) |
父親 | 順徳天皇 |
母親 | 九条立子 |
生涯
編集建保7年(1219年)1月23日に内親王宣下を受ける[1][2]。嘉禎2年(1236年)12月7日に准三宮宣下を受け、同月21日に院号宣下を受ける[1][2]。寛元元年(1243年)に27歳で死去した[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 芳賀登 他編『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) ISBN 978-4-8205-7128-5 P1032.
- 志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) ISBN 978-4-585-06063-5 (谷山俊英「順徳天皇」) P543.