ヘッセン方伯
- ヘッセン方伯領
- Landgrafschaft Hessen
-
← 1264年 - 1567年 →
→
→
→(国旗) (国章)
1400年におけるヘッセン方伯領(水色)-
首都 カッセル、マールブルク - ヘッセン方伯
-
1264年 - 1308年 ハインリヒ1世 1509年 - 1567年 フィリップ1世 - 変遷
-
テューリンゲン方伯領より分立 1264年 2つに分裂 1458年 - 1500年 4つに分裂 1567年
ヘッセン方伯(ヘッセンほうはく、独:Landgraf von Hessen)は、神聖ローマ帝国の方伯。その所領(ヘッセン方伯領、独:Landgrafschaft Hessen)がフィリップ1世の息子達により分割されるまでの期間、1264年から1567年まで存在した。
歴史
編集中世初期にヘッセンはテューリンゲン方伯領の一部であったが、テューリンゲン継承戦争の後、ブラバント公アンリ2世と妃ゾフィー・フォン・テューリンゲンの息子ハインリヒ1世に相続された。ハインリヒ1世は1246年に最初のヘッセン方伯となった。
1458年から1500年まで方伯領は上ヘッセンと下ヘッセンに分裂していたが、1509年にヴィルヘルム2世の代で統合された。
フィリップ1世の統治下においてヘッセンの重要性は最も高まった。フィリップ1世は寛大伯とも呼ばれ、1524年にプロテスタントを受け入れ、以降プロテスタント諸侯による保護同盟を創設する処置をとった。
1567年のフィリップ1世の死後、方伯領は最初の結婚で生まれた息子達に分割相続された。
- ヘッセン=カッセル方伯(後のヘッセン選帝侯、1567年 - 1806年/1813年 - 1866年、プロイセン王国に併合された):ヴィルヘルム4世
- ヘッセン=マールブルク方伯(1567年 - 1650年、ヘッセン=カッセルとヘッセン=ダルムシュタットに併合された):ルートヴィヒ4世
- ヘッセン=ラインフェルス方伯(1567年 - 1583年、ヘッセン=カッセルに併合された):フィリップ2世
- ヘッセン=ダルムシュタット方伯(1567年 - 1806年、後のヘッセン大公国。1806年 - 1918年、ヴァイマル共和国に併合された):ゲオルク1世