リア=シラック
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Ria-Sirach | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | ピレネー=オリアンタル県 |
郡 (arrondissement) | プラード郡 |
小郡 (canton) | プラード小郡 |
INSEEコード | 66161 |
郵便番号 | 66500 |
市長(任期) |
ジャン・モーリー (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Conflent |
人口動態 | |
人口 |
1,175人 (2007年) |
人口密度 | 92人/km2 |
住民の呼称 | les Rianencs, les Siracaires, les Ria-Sirachois |
地理 | |
座標 | 北緯42度36分34秒 東経2度24分02秒 / 北緯42.6094度 東経2.4006度座標: 北緯42度36分34秒 東経2度24分02秒 / 北緯42.6094度 東経2.4006度 |
標高 |
最低:339m 最高:1081m |
面積 | 12.82km2 |
リア=シラック(Ria-Sirach、カタルーニャ語:Rià i Cirac[1])は、フランス、オクシタニー地域圏、ピレネー=オリアンタル県のコミューン。
地理
[編集]コンフラン地方にあるリア=シラックは、テート川谷の中にある。アンドラへ向かう高速道路116号線を利用した場合、プラードの次にある。
歴史
[編集]コミューンとしてのリアは、1822年に既にあったリアとシラック、2つのコミューンが再統合して生まれた。中世以降、シラックの教区はリアに依存した存在だった。1973年、リアはウルバニャと合併してリア=シラック=ウルバニャ(Ria-Sirach-Urbanya)となったが、1983年に再び別れたため、リア=シラックに戻った。
リアは9世紀にその名が引用され、1134年にサン=ミシェル=ド=キュクサ修道院がリア領主となって所有権を取得し、それはフランス革命まで続いた。村は、城が建っていた丘の頂上にある。1195年には村について記載がなされ、1347年にアラゴン王ペドロ4世によって城は壊された。16世紀から17世紀に移り変わる頃再建されたが、最終的に17世紀後半に破壊された[2]。
リアと同じく、シラックも10世紀から革命までサン=ミシェル=ド=キュクサ修道院が所有していた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 |
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1017 | 1057 | 1028 | 1042 | 1017 | 1126 | 1175 |
脚注
[編集]- ^ カタルーニャ語Institut d’Estudis Catalans, Université de Perpignan, Nomenclàtor toponímic de la Catalunya del Nord, Barcelone, (lire en ligne)
- ^ Lucien Bayrou (direction), Entre Languedoc et Roussillon (1258-1659 : fortifier une frontière ?), Saint-Estève, Les Amis du Vieux Canet, 2004 (ISBN 2-9522019-0-0), p. 328-330
- ^ Ria-Sirach sur le site de l'Insee
- ^ Insee, Historique des populations par commune depuis le recensement de 1962 (fichier Excel), mis à jour en 2010, consulté le 21 juillet 2010