マウゴジャータ・グリンカ
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基本情報 | |||||||||||||||
国籍 | ポーランド | ||||||||||||||
生年月日 | 1978年9月30日(46歳) | ||||||||||||||
出身地 | ワルシャワ | ||||||||||||||
ラテン文字 | Małgorzata Glinka | ||||||||||||||
身長 | 191cm | ||||||||||||||
体重 | 84kg | ||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
ポジション | WS | ||||||||||||||
スパイク | 320cm | ||||||||||||||
ブロック | 303cm | ||||||||||||||
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マウゴジャータ・グリンカ=モゲンターレ(Małgorzata Glinka-Mogentale, 1978年9月30日 - )は、ポーランドの元女子バレーボール選手。ワルシャワ出身。
来歴
[編集]12歳からバレーを始める。父親はカー・メカニック、母親は学校の教師で、4歳年上の姉はスイス航空のキャビンアテンダントを務めている。1998年に日本・ポーランド対抗で来日し、センタープレーヤーとして活躍。ウイングスパイカー転向後は191cmの長身を生かし、高さだけでなくセンターとの絡みでの時間差、そして強烈なバックアタックを兼ね備えている。
2003年欧州選手権でポーランド初優勝の立役者となった。同年、日本で行われたワールドカップでは188のスパイク得点を含む213得点を挙げ、MVPとベストスコアラーに輝いた。2005年欧州選手権で大会2連覇を達成。2006年のワールドグランプリから一時代表を外れていたが、2007年にマルコ・ボニッタ監督が代表チームに呼び寄せ、同年の欧州選手権から復帰する。2007年ワールドカップ、2008年北京オリンピック、2010年世界選手権ではチームの大黒柱として活躍した。
2005-2006シーズンに所属していたフランスリーグのRCカンヌでは、日本のリベロ・佐野優子とチームメイトだった。2008-2009シーズンよりトルコリーグのワクフバンクへ移籍。2012-13シーズンから加入した木村沙織とはチームメイトだった。同シーズンでトルコリーグ、トルコカップ、欧州チャンピオンズリーグで3冠を果たす原動力となった。
2013-14シーズンからポーランドリーグの PTPS chemik Policeへ移籍した。
2015年に現役引退。
球歴
[編集]- オリンピック - 2008年(9位)
- 世界選手権 - 2002年(13位)、2010年(11位)
- ワールドカップ - 2003年(8位)、2007年(6位)
- 欧州選手権 - 1999年(6位)、2003年(優勝)、2005年(優勝)、2007年(4位)
受賞歴
[編集]- 2003年 ワールドカップ MVP、ベストスコアラー賞
- 2004年 イタリアカップ MVP
- 2006年 2005/06フランスリーグ MVP
- 2007年 2006/07スペインリーグ MVP
- 2007年 欧州選手権 ベストスパイカー賞
- 2008年 北京オリンピック世界最終予選 ベストスパイカー賞
- 2011年 欧州チャンピオンズリーグ MVP
所属クラブ
[編集]- Skra Warszawa(1993-1996年)
- Dick Black La Festa Andrychów(1996-1998年)
- カリシュ(1998-1999年)
- ヴィチェンツァ(1999-2003年)
- アシステル・ノヴァーラ(2003-2005年)
- RCカンヌ (2005-2006年)
- ムルシア(2006-2008年)
- ワクフバンク・テュルクテレコム(2008-2013年)
- PTPS chemik Police (2013-2015年)