[go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

ノート:ヒンドゥー教徒

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

この記事は必要でしょうか。以前の通りヒンドゥー教へのリダイレクトにしたほうが簡潔で良いと思いますが。--死郎 2010年10月13日 (水) 07:39 (UTC)[返信]

加筆して大きくしていくので、リダイレクトの必要はありません。--RHDIA 2010年10月15日 (金) 15:58 (UTC)[返信]

記事の規模という点だけならそれで良いでしょう。しかし、こののちヒンドゥー教(あるいは、その一部)と大差のない内容になるのなら、結果的に再統合が求められるように思えます。記事を分けることの明確な意義やメリットがあるならば、それを示していただけると有難いのですが。--死郎 2010年10月16日 (土) 07:38 (UTC)[返信]

ヒンドゥー教徒(en:Hindu)があるので、記事を分ける意義はあります。--RHDIA 2010年10月16日 (土) 09:20 (UTC)[返信]

なるほど。英語版ではen:Hinduismと別になっていますね。とはいえ“日本語の運用の中で”両者を分けるべきかどうかは別に検討すべきとは思いますが――とりあえずご主張に一理あることを認め、引き下がります。ご意見感謝します。--死郎 2010年10月16日 (土) 15:50 (UTC)[返信]

英語版のen:Hinduと言語間リンクで繋げてしまうのは問題があるように思います

[編集]

現在英語版のen:Hinduと言語間リンクで繋がっていますが、同じテーマを扱っているようには思えません。英語版en:Hinduの導入にはこうあります。「Hinduはインド亜大陸に固有の哲学、宗教観、文化に根付いた独自性」。これが英語版の記事の主軸だとおもいます。日本語版、つまりこの記事には「ヒンドゥー教徒(Hindu)は、ヒンドゥー教の信者」と書かれています。確かに英語版にも「近年では通常ヒンドゥー教徒に対して用いられる」とも記述されていますが、現状英語版とは記事の方向性が違います。

では、改名と改稿でなんとかならないかとも考えたのですが、「インド亜大陸に固有の哲学、宗教観、文化に根付いた独自性」という方向に書き換えてしまうと今度は「ヒンドゥー教徒」にリンクしている多数のページに影響が出そうです。

しばらく意見を待ってから言語間リンクを外そうと思います。上にも議論があったようですが、ヒンドゥー教へのリダイレクトにしちゃってもいいんじゃないかなって思います。--Akiyama(tentative)会話2015年7月20日 (月) 13:17 (UTC)[返信]