ティエ
Thiais | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
県 (département) | ヴァル=ド=マルヌ県 |
郡 (arrondissement) | ライ=レ=ローズ郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 94073 |
郵便番号 | 94320 |
市長(任期) |
リシャール・デラニョーラ (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
29,273人 (2007年) |
人口密度 | 4 553人/km2 |
住民の呼称 | Thiaisiens, Thiaisiennes |
地理 | |
座標 | 北緯48度45分54秒 東経2度23分32秒 / 北緯48.765度 東経2.3923度座標: 北緯48度45分54秒 東経2度23分32秒 / 北緯48.765度 東経2.3923度 |
標高 |
平均:m 最低:41 m 最高:96m |
面積 | 6.43km2 |
公式サイト | http://www.ville-thiais.fr |
ティエ (Thiais)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、ヴァル=ド=マルヌ県のコミューン。コミューン内には、103ヘクタールの面積をもつティエ墓地(fr)がある。
地理・交通
[編集]パリの南南東7マイル地点に位置する。ティエには、非常に重要な高速道路でパリ第2のペリフェリックの役割を担うA86、パリ=リヨン間を結ぶA6の交差地点がある。N7がコミューンの西境を通る。コミューンの南西には、RER C線のポン・ド・ランジス=アエロポール・ドルリー駅があるが、ティエ住民の大半は住宅地に近いショワジー=ル=ロワ駅を利用している。
由来
[編集]ティエの名はゲルマン語の人名をラテン語化した、テオダクシウム(Theodaxium)から派生した。説頭辞のTheod-は、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院の祭壇画に記されている。しかしこれはおそらく、フランク人の領域にテオダクシウムができた年代を表している。8世紀に書かれたプイエ(fr、教会が税の徴収や評価について記した記録文書)では、町はTièsと記された。その後にはTudaiſeと呼ばれた。1626年に印刷されたプイエにおいてはTheodoſeの名となり、1648年にはThiarsとなった。1692年、ある毛皮商人はThyaisと記した。
歴史
[編集]5世紀から、一帯はサン=ジェルマン=デ=プレ修道院の領地だった。9世紀には村の存在が知られるようになった。サン=ジェルマン=デ=プレ修道院はそこに143エーカーのブドウ畑を所有しており、1248年、1200リーヴルの支払いを条件に農奴たちを解放した。13世紀にのみカトリック教会から独立し自治を保ったが、その後は教会の所有となった。世帯は個々に農地を所有した。
1870年普仏戦争におけるパリ包囲戦では、ティエは激しい戦いの舞台となった。
1929年に設置されたティエ墓地には、アルバニア初代国王ゾグー1世、詩人パウル・ツェラン、作家ヨーゼフ・ロートが埋葬されている。
姉妹都市
[編集]出身者
[編集]- フランク・タバヌ - サッカー選手