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タトラカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プラハ市電のタトラカー

タトラカーは、チェコ(旧:チェコスロバキア)・プラハに存在したタトラ国営会社スミーホフ工場(ČKDタトラ)で開発・製造された路面電車車両の総称[1][2]である。チェコスロバキア東ドイツソビエト連邦などの東側諸国を中心に世界各国に導入された。

この項目では、他社によるライセンス生産で製造された同型の路面電車車両や、東ドイツに導入されたČKDタトラ製の二軸車T2DB2Dについても記す。

概要

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タトラカーの技術の基礎となったPCCカー

第二次世界大戦により多くの被害を受けた東側諸国の各都市では交通機関の復旧が急務となっていたが、戦前のヨーロッパの主流車両であった小型の二軸車では増え続ける乗客への対応が難しくなっていた[1]。そこで1947年、チェコスロバキアのタトラ国営会社スミーホフ工場(ČKDタトラ)は、1936年以降量産が行われていたアメリカの高性能路面電車PCCカーのライセンス生産契約を締結。1951年に製造されたT1以降、1999年までの間に多数の車両が製造された。特に1949年にソ連主導で共産主義国家による経済協力機構である経済相互援助会議が結成されて以降、路面電車の標準型としてスミーホフ工場で製造された路面電車が供給されることとなり、東側諸国へ向けて大量に生産される事となった[3]。 多くのモデルは起終点に折り返し用のループ線を持つ路線の形状に合わせ、片運転台かつ片側のみに扉がある車体を有していたが、T6C5やKT8D5など、導入路線の需要に応じ両側に扉を持つ両運転台の車両も製造された。

1998年にČKDタトラが破綻しシーメンスに吸収された事に加え、超低床電車の普及や車両自体の老朽化に伴い、各地の都市で廃車や他都市、保存鉄道への譲渡が進んでいる。だがその一方で、制御装置の交換、車体更新、低床車体の挿入などの近代化も実施されており、タトラカーの機器を流用した新型車両の製造も行われている。ドレスデン市電で運用されている路面貨物電車カーゴトラム(CarGoTram)も、引退したタトラカーの台車などの部品を再利用して製造された車両の1つである[4]

形式表記

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ČKDタトラによって製造された各種のタトラカーは、以下の付与法則に基づいて形式が定められている[5]

記号 車種 凡例 補足
T 動力車 T1、T2、T3、T4、T5、T6、T7 "T"はドイツ語の"Triebwagen(電動車)"が由来[6]
B 付随車 B3、B4、B6 "B"はドイツ語の"Beiwagen(付随車)"が由来[6]
K 連接車 K1、K2
KT 連接車 KT4、KT8 [KT○」の「○(数字)」は車軸数を表す
RT 連接車 RT6N1、RT6S [RT○」の「○(数字)」は車軸数を表す

また、T5、T6、B6、T7、KT8の各形式については、上記と共に以下の形式表記がなされている[5]

記号 記号解説 凡例
A2 軸距6.7m、片方向形
車体幅2.2m
T6A2、B6A2
A5 軸距6.7m、片方向形
車体幅2.5m
T6A5
B5 軸距7.5m、片方向形
車体幅2.5m
T6B5、T7B5
C5 軸距6.7m、両方向形
車体幅2.5m
T5C5、T6C5
D5 軸距7.5m、両方向形
車体幅2.5m
KT8D5

単車・付随車

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T1

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アメリカのPCCカーの技術を基に開発された第一世代。1951年に試作車4両が製造された後、1952年から1958年まで287両が量産された[6]。ほとんどの車両はプラハなどチェコスロバキアの都市に導入されたが、一部はポーランドのワルシャワやソビエト連邦(現:ロシア連邦)のロストフ・ナ・ドヌ向けに製造された。1987年までに営業運転から引退したが、最初に製造されたTW 5001を含めた車両が各地で保存されている。

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T1 1951-58年 14,500mm 2,400mm 3,050mm 16.6t 60km/h 40.0kW×4 26人 69人 1,000mm
1,435mm
1,524mm

T2

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1955年から1962年にかけて製造された形式。タトラT1から寸法や外見が変更された。ソ連向けに製造されたT2SUは扉の数が前後2箇所に減少しており、その分座席数が増加した。重量面の問題が指摘され、1962年以降の製造は改良型のタトラT3に置き換わっている[7]

ほとんどの車両は1980年代までに営業運転から撤退したが、一部車両は内装の近代化やヘッドライトの位置変更に加えT3と機器を統一したT2Rに改造されている。

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T2 1955年-62年 15,200mm 2,500mm 3,050mm 17.5t[注釈 1] 65km/h 40.0kW×4 25人 75人 1,000mm
1,435mm
1,524mm
T2SU - 15,200mm 2,500mm 3,050mm 17.5t 65km/h 40.0kW×4 38人 56人 1,524mm
T2R - 15,200mm 2,500mm 3,050mm 17.5t 65km/h 40.0kW×4 25人 75人 1,435mm

T3・B3

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タトラT2で指摘された問題点を改良し、車体の構造や内装を改め生産性も向上させた第三世代となるタイプ。動力車のT3、付随車のB3が製造され、特にT3は1960年から1989年にかけて計13991両が製造された。1990年代以降は改良型のT3R(チェコ向け)、T3RF(ロシア連邦向け)が増備された他、2000年代以降は機器交換、車体更新、低床化などの近代化改造や機器流用車の製造が行われている。

T4・B4

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1960年に製造された試作車を経て、1967年から東ドイツ向けにT3D・B3Dが製造・輸出されたが、シュベリーンなど一部の都市では車体幅の関係でホームとの隙間が狭くなり過ぎると言う事態が生じた。そこで車体幅をT3の2,500mmから2,200mmに狭めたのがT4(電動車)とB4(付随車)である[8]

1967年から1987年にかけて製造され、東ドイツ向けのT4DB4Dに加えて、同じ条件下にあったソ連の各都市向けのT4SU、ルーマニア向けのT4R、ユーゴスラビア向けのT4YUB4YUが製造された。特に東ドイツの多くの都市では逼迫した輸送需要に対応するべく、電動車であるT4Dが2両の付随車B4Dを牽引する「Großzug」と呼ばれる編成を組んで使用された[9]

1969年に両運転台化改造が施されたZT4D[10]など各都市の事情に見合った改造が早い時期から行われており、1990年代以降は旧東ドイツの各都市で台車の交換や車体更新、低床化などの近代化工事も実施されている[9]

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T4 1967年-87年 14,000mm 2,200mm 3,063mm 16.0t 65km/h 44.0kW×4 20人 77人 1,000mm
1,067mm
1,435mm
1,450mm
1,524mm
B4 1967年-87年 14,000mm 2,200mm 3,063mm 65km/h - - 28人 72人 1,000mm
1,067mm
1,435mm
1,450mm

T5

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1976年から製造が行われた第五世代の車両。それまで製造された車両から車体形状が大きく変更され、丸みを帯びたデザインから全金製の角ばったデザインに改められた他、モーターや制御装置などの走行機器についてもPCCカーに基づかない新たなコンセプトで製造されている。試作車として製造されたT5A5T5B6に加え、1978年から1984年にかけてハンガリーブダペスト市電向けにT5C5が322両製造された。また、2002年以降一部のT5C5は制御装置をIGBTトランジスタ制御に換装し、形式名もT5C5K[11]T5C5K2(2009年以降の更新車)に改められている。

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T5A5 1981年 14,000mm 2,500mm 3,145mm 65km/h 40.0kW×4 20人 115人 1,435mm
T5B6 1976年 14,700mm 2,600mm 3,145mm 17.7t 65km/h 77.0kW×4 39人 83人 1,435mm
T5C5 1978-84年 15,640mm 2,500mm 3,140mm 18t 65km/h 44.0kW×4 28人 72人 1,435mm

T6・B6

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1980年代以降に登場した第六世代の車両。T3を含めた各都市の老朽化した車両の置換用に安価かつ整備の簡略化という要望に適した設計になっているのが特徴で、車体はT5と同様の角ばったデザインになっている。
各地の仕様に合わせた以下の4タイプが製造され、一部はČKD社破産後も別企業が引き続き製造を行っていた。

T6B5

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主にソ連向けとして製造された形式。ソ連(現:ロシア連邦ベラルーシウクライナウズベキスタン)各地に導入されたT6B5SU(T3Mとも呼ばれている)に加え、ブルガリア向けのT6B5B、北朝鮮向けのT6B5Kが製造された。

ソ連向けの車両に関してはČKD社に加え、ドニプロにあったJuMS工場が23両をライセンス生産している。またČKDタトラ破産後はイネコン・トラムが残された車両の製造を担当した他タトラ=ユークもライセンス生産を継続し、最終的に2013年まで新車の販売が行われた。

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T6B5 1983-2013年 15,342mm 2,480mm 3,145mm 18.39t 65km/h 45.0kW×4 40人 120人 1,435mm
1,520mm

T6A2・B6A2

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T5A5の試験結果をもとに開発された、車体幅を2,200mmに狭めた構造のモデル。1985年に試作車が製造された後、1988年から量産車の製造が行われた。東ドイツの各都市の路面電車における老朽車置換用に製造された電動車T6A2D、付随車B6A2Dに加え、1991年以降はブルガリアソフィア市電向けにT6A2Bが、1997年にはハンガリーセゲド市電向けにT6A2Hが製造されている。

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T6A2 1985-99年 15,342mm 2,200mm 3,110mm 18.3t 55km/h 45.0kW×4 20-28人 66-81人 1,009mm
1,435mm
1,450mm
1,458mm
B6A2 1985-99年 15,342mm 2,200mm 3,110mm 14.3t 55km/h - - 20-29人 92人 1,435mm
1,450mm
1,458mm

T6A5

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主にチェコスロバキアの路面電車用に製造されたモデル。サイリスタチョッパ制御を採用し、電力消費がそれまでの車両よりも削減されている。3次に渡って量産が行われ、1998年のČKDタトラ社の破産後も2002年の工場閉鎖まで新車の製造が行われた。また、T3の台枠や機器を流用したT6A5.3も提案され1両が製造されたが営業運転に就く事はなかった[12]

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T6A5 1991-98年 14,700mm 2,500mm 3,165mm 18.7-19.5t 65km/h 45.0kW×4
46.8kW×4
25-31人 75-84人 1,000mm
1,435mm

T6C5

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アメリカ合衆国ニューオーリンズで公共交通機関を運営するニューオーリンズ地方交通局からの注文を受けて製造されたタイプ。T6A5を基にしながらも、冷房装備や両運転台など独自の仕様となっていた。1998年に1両が製造され、ニューオーリンズで試験運転が行われたが、ČKD社の破綻の影響を受けて注文がキャンセルされ、2001年にチェコ・プラハに返却された。2003年からはドイツシュトラウスベルク鉄道で使用されている。

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T6C5 1998年 14,700mm 2,500mm 3,165mm 20.5t 65km/h 46.9kW×4 24人 97人 1,435mm

T7

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1980年代から90年代にかけて製造された形式。T6B5を基にした設計で定員数が増した一方重量も増加している。製造はT7B5の8両のみに留まり、ČKDタトラ社が所有しチェコで試験に用いられた1両以外はノルウェーソ連に輸出されたが、2000年代までに営業運転から撤退した。そのうちノルウェーのオスロ市電に導入された車両は、旧西側諸国へ導入された初めてのタトラカーとなった[13]

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T7B5 1989年-93年 15,300mm 2,400mm 3,145mm
3,450mm
20.0t
19.8t
65km/h 50.0kW×4 40人 120人 1,435mm
1,524mm

連接車

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K1

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それまで製造されていた単車よりも定員数が多い「連接車」を開発するため、1964年から1965年にかけて製造された試作車。車体の構造はT3を基にしていたが、電子機器に関しては独自の設計がなされていた。チェコ(旧チェコスロバキア)のオストラヴァで試運転が行われたが機器の故障が相次いだ事もあり、1968年から3年間運用されたのちČKDタトラへ返却された[14]

形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
K1 2車体連接車 1964-65年 21,600mm 2,500mm 3,050mm 60km/h 40kW×4 49人 108人 1,435mm

K2

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各地の都市に在籍していた2軸車などの旧型車両の置換用に製造された連接車。故障が相次いだK1の試験結果を踏まえ、T3に導入された電子機器をそのまま用いている。1966年に試作車が製造された後、1967年から1983年にかけて社会主義圏の各都市に向けて量産車が製造された。そのうちソ連向けの車両はK2SU、ユーゴスラビア向けにはK2YUの形式名が付けられている。

1990年代以降は各都市でサイリスタ制御への換装や車体更新、低床車体の挿入などの近代化工事が行われている他、一部の都市にはK2の機器を流用した新型電車が導入されている。

  • K2Gチェコ語版 - サイリスタ制御に改造
  • K2R - 車体更新、サイリスタ制御への改造など
  • K2S - 車体更新(一部は車体完全新造)、GTOトランジスタ制御への改造など
  • Satra IIチェコ語版 - 車体更新、シーメンス製のGTOトランジスタ制御への換装など
  • K2T - GTOトランジスタ制御への換装など
  • K2R.03-P - 車体更新、IGBTトランジスタ制御への改造
  • K2P - IGBTトランジスタ制御への改造
  • K3R-N - 中間に低床車体を挿入(3車体連接車化)、車体更新(一部は車体完全新造)、IGBTトランジスタ制御への改造など
  • Satra IIIチェコ語版 - 中間に低床車体を挿入(3車体連接車化)、車体更新、IGBTトランジスタ制御への改造など
  • VarioLF2R.E - K2の機器流用車(部分低床車)、チェコ:ブルノ向け
  • VarioLF2R.S - K2の機器流用車(部分低床車)、チェコ:オストラヴァ向け
形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
K2 2車体連接車 1966年-73年 20,400mm 2,500mm 3,050mm 21.9t 60km/h 40kW×4 50人 108人 1,000mm
1,435mm
1,524mm

K5

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エジプト・カイロ市電向けに製造された連接車。K5ARという形式名が付けられていた。両運転台式で車体にはコルゲートが備わっており、電子機器は亜熱帯気候に対応するよう設計されていた。だが保守面の都合や軌道の悪さが原因で急速に老朽化が進んだため[15]、1980年代半ばまでに全車とも営業運転から撤退した[16]

形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
K5AR 2車体連接車 1970年-73年 20,400mm 2,500mm 3,050mm 44.5kW×4 56人 92人 1,435mm

KT4

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老朽化した各都市の2軸車の置き換えのために開発されたタイプ。それまで製造されていた連接車と異なり、ボギー台車が設置された車体がサブフレームと屋根上の機器によって繋がる連節車体となっており、K2と比べて安価に導入でき急カーブや急勾配に適した構造になっている。東ドイツ向けの車両はKT4D、ソ連向けはKT4SU、ユーゴスラビア向けはKT4YUの形式名が付けられている。また、1983年以降に製造された東ドイツ向けの車両は主電動機がサイリスタ制御に変更され、形式名も「KT4Dt」に改められている。更に1991年には北朝鮮向けのKT4Kが50編成製造されたが、技術的な問題から2つの車体が溶接されボギー車に改造された。

2000年代以降は各都市で超低床電車への置き換えが進み、廃車もしくは別の都市への譲渡が進む一方、低床車体の組み込みやサイリスタ制御装置への換装をはじめとした近代化も行われている。

  • KTNF6、KT6T - 低床車体(軸配置1'1')を中間に挿入
  • KTNF8 - 低床車体(軸配置2'2')を中間に挿入
  • KT4MDE - サイリスタ制御に改造、ヘッドライト・パンタグラフの交換など
  • KT4DtM(KT4DM) - GTOサイリスタ制御に改造、内装・運転台の更新など
形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
KT4 2車体連接車 1974-97年 19,015mm 2,200mm 3,100mm 20.3t 65km/h 40.0kW×8 26-38人 83-105人 1,000mm
1,435mm
1,524mm
KTNF6
KT6T[注釈 2]
3車体連接車 1996-98年(KTN6F)
2001-07年(KT6T)
27,714mm 2,200mm 3,400mm 29.8t 65km/h 54.0kW×8 54-58人 93-95人 1,000mm
1,067mm
KTNF8 3車体連接車 1999-2003年 26,554mm 2,200mm 3,400mm 29.8t 65km/h 54.0kW×8 54-58人 93-95人 1,000mm
1,067mm

KT8D5

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チェコスロバキアなど社会主義国家における需要増加に対応するべく、多数の乗客を積載出来る車両として開発された連接車。サイリスタ制御方式を採用した車両で、運転台が編成の両側に備わっており、機回し用のループ線が存在しない路線でも使用されている。

1982年から設計が始まり、1984年に試作車が完成。その後1986年から量産が始まり、1990年代までチェコスロバキア、ユーゴスラビア、北朝鮮などの各都市に導入された。チェコスロバキアやユーゴスラビア向けの編成にはKT8D5CS、北朝鮮向けにはKT8D5K、ソ連向けの車両はKT8D5SUの形式名が付けられている。また、1998年から1999年にかけて、チェコブルノ市電向けに中間車体を低床化したKT8D5Nが導入されている。

2000年代以降、チェコスロバキア各都市で使用されているKT8D5の一部に近代化工事が施工されている。

  • KT8D5R.N1 - 中間車体を低床化、片運転台化
  • KT8D5R.N2 - 中間車体を低床化
  • KT8D5R.N2P - 全車体を低床化、電子機器を更新
形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
KT8D5 3車体連接車 1986年-93年 30,300mm 2,480mm 3,145mm 38.0t 65km/h 45.0kW×8 48-54人 177人 1,435mm
1,524mm
KT8D5N 3車体連接車 1998年-99年 30,300mm 2,480mm 3,170mm 38.0t 65km/h 49.3kW×8 50人 176人 1,435mm

RT6

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RT6N1

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車内の60%が低床構造となっている超低床電車。3車体のうち前後の台車に動力が備わっている。1993年に試作車が製造されチェコの各都市で試運転が行われた後、1996年以降チェコやポーランド向けに計19編成が製造された。しかしブルノなどチェコに導入された車両は故障が相次ぎ、一部の保存車両を除きポーランドのポズナンへ譲渡されている。またポズナンに導入された車両については2011年以降Modertransポーランド語版によって近代化改造が行われており、形式名も「RT6 MF06AC」へと改められている。

形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
RT6N1 3車体連接車 1993年-98年 26,280mm 2,440mm 3,200mm 32.0t 80km/h 104.0kW×4 46人 130人 1,435mm 60%低床車

RT6S

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1996年に1編成が製造された、60%低床車。RT6N1と同型の車体の製造をČKDタトラが、機器類をシーメンスが担当している。リベレツで試運転が行われたのち、1998年12月から営業運転を開始したものの、ČKDタトラが破綻した事でそれ以上の製造は行われず、唯一製造された編成も機器の故障や小型車輪の摩耗の速さなどの要因で2003年に営業運転から撤退した[17]

形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
RT6S 3車体連接車 1996年 26,280mm 2,440mm 3,200mm 32.6t 70km/h 120.0kW×4 46人 130人 1,435mm 60%低床車

RT8D5

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マニラ・メトロレールの開業に合わせ、KT8D5を基に製造された連接車。ČKDタトラが破綻しシーメンスに吸収される前に登場した最後の新形式である。
1995年に製造された試作車は両運転台式であった[18]が、量産車は片運転台式となり、通常は3編成を連結した状態で営業運転を行っている。

形式名 編成 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
RT8D5M 3車体連接車 1997年-99年 30,300mm 2,500mm 3,250mm 46.9t 65km/h 64.5kW×8 7.42 74人 200人 1,435mm 通常は3編成を連結して運用

その他

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T2D・B2D

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東ヨーロッパ圏内での路面電車車両の生産をタトラ国営会社が行うというソ連主導の新体制に基づき、それまで東ドイツゴータ車両製造が製造していたT2-62/B2-62形の設計を受け継いだ二軸車。形式名の「D」は「ドイツ(Deutschland)」を示し、T4・B4では輸送力が過剰となる東ドイツの小規模路線へ向けて生産が行われた[8]

形式名 製造年 全長 全幅 全高 自重 最高速度 出力 歯車比 着席定員 立席定員 軌間 備考
T2D 1967-68年 10,900mm 2,200mm 3,115mm 12.5t 50km/h 60.0kW×2 22人 65人 1,000mm
1,435mm
1,524mm
ゴータT2-62形と同設計
B2D 1967-68年 10,900mm 2,200mm 3,115mm 12.5t 50km/h - - 23人 66人 1,000mm
1,435mm
1,524mm
ゴータB2-62形と同設計

未成車両

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1990年代に民営企業となったČKDタトラでは、従来のタトラカーに代わる標準型車両として複数の超低床電車モデルの設計を行っていた。これらの車両は纏めて"Lシリーズ"と呼ばれ、運転台や電気機器、内装など主要箇所がモジュール構造を採用する事で統一されており、動力台車は床上高さが高くなる一方で車輪や線路の摩耗を抑えメンテナンス面でも有利な回転軸・車軸付きの従来型のボギー台車が使用される事になっていた。だが、2000年にČKDタトラが倒産した結果、全形式とも計画のみに終わった[19][20][21]

  • LT24V - 連接車(K2、KT4)やボギー車(T3、T6等)の置き換えを想定した形式。KT4の構造を基にした、1車体1台車方式の2車体連接車で、動力台車がある車体中央部を除いた車内全体の55%が低床構造となる予定であった。中央部の乗降扉付近には車椅子が設置できる空間があり、3人分の折り畳み座席が設置される構想だった。また多客時の連結運転を想定し、総括制御にも対応出来る設計となっていた[19]
  • LT36 - 利用客が多い路線での単独運転を想定した片運転台式3車体連接車。RT6を基にした構造で中央の車体長が短い車体には車軸がない付随台車が設置されており、前方・後方の動力台車が設置されている箇所を除いた車内全体の67%が低床構造となる計画だった[20]
  • LT38V - ボギー車(T3、T6等)の連結運転の置き換えを想定した片運転台式3車体連接車。前後車体はLT36と共通構造である一方、中間車体はLT36よりも長く、大量輸送に対応した設計となっていた。台車は全て車軸付きの動力台車(モノモーター方式)で、乗降扉付近を始めとした車内全体の低床率は50%を予定していた[21]
ČKD Lシリーズ 主要諸元表[19][20][21]
形式 LT24V LT36 LT38V
車種 2車体連接車 3車体連接車
運転台 片運転台
軌間 1,435mm
軸配置 B'oB'o B'o2B'o B'oB'oB'oB'o
全長 19,000mm 27,100mm 32,815mm
車体長 9,511mm 11,255mm(前後車体)
4,590mm(中間車体)
11,255mm(前後車体)
10,305mm(中間車体)
全幅 2,480mm
全高 3,500mm
車体高 3,210mm
床面高さ 高床部分 600mm
低床部分 360mm
低床率 55% 67% 50%
軸距 1,900mm 1,900mm(動力台車)
1,800mm(付随台車)
1,900mm
台車中心間距離 9,436mm 9,685mm 9,975mm[注釈1 1]
5,135mm[注釈1 2]
最高速度 70km/h
最大加速度 1.8m/s2
空車重量 24.1t 34.1t 43.46t
着席定員 46人 70人 84人
折り畳み座席 3人分 6人分
定員
(乗客密度5人/m2)
134人 195人 255人
最大定員
(乗客密度8人/m2)
188人 270人 358人
対応電圧
(架空電車線方式)
直流600V/750V
出力 45kw×4基 125kw×4基 78kw×4基
備考
  1. ^ 前後車体-中間車体間の台車間距離。
  2. ^ 中間車体の台車間距離。

関連項目

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関連車両

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関連企業・その他

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脚注

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注釈

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  1. ^ 試作車は18.1t
  2. ^ エストニア向け編成

出典

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  1. ^ a b 大賀寿郎 2016, p. 91.
  2. ^ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』グランプリ出版、2003年9月、140-141頁。ISBN 9784876872503 
  3. ^ 大賀寿郎 2016, p. 93.
  4. ^ 大賀寿郎 2016, p. 97.
  5. ^ a b Szeitl László (2007). TÁTRA T5C5 VILLAMOS JÁRMŰISMERET (PDF) (Report). Budapesti Közlekedési Zrt. p. 27. 2017年10月15日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。
  6. ^ a b c 大賀寿郎 2016, p. 94.
  7. ^ Вагон типа Т-2 (Татра-2)”. 2018年7月18日閲覧。
  8. ^ a b 鹿島雅美 2007, p. 145.
  9. ^ a b 鹿島雅美 2007, p. 146.
  10. ^ 鹿島雅美 2007, p. 147.
  11. ^ Tatra T5C5”. 2018年7月18日閲覧。
  12. ^ Osobní tramvajové vozy - T6A5.3”. 2018年7月18日閲覧。
  13. ^ Vagn M30 100 - ウェイバックマシン(2007年8月5日アーカイブ分)
  14. ^ K1[online]”. 2018年7月18日閲覧。
  15. ^ 近畿車輛技報 第14号 2007.10 「温故知新 エジプトのプロジェクトを振り返って【前編】」”. 近畿車輛. 2018年7月18日閲覧。
  16. ^ Tatra K5AR”. Strassenbahnen-Online. 2018年7月18日閲覧。
  17. ^ O tramvajích, které dlouhou dobu nemohly jezdit, aneb příběh vozů RT6”. 2018年7月18日閲覧。
  18. ^ Bericht über die Tatra RT8M (mit Bildern vom Prototyp)”. 2018年7月18日閲覧。
  19. ^ a b c KATALOGOVÝ LIST TRAMVAJOVÉHO VOZU LT24V” (チェコ語). SKD TRADE a.s.. 2007年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月16日閲覧。
  20. ^ a b c KATALOGOVÝ LIST TRAMVAJOVÉHO VOZU LT36” (チェコ語). SKD TRADE a.s.. 2007年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月16日閲覧。
  21. ^ a b c KATALOGOVÝ LIST TRAMVAJOVÉHO VOZU LT38V” (チェコ語). SKD TRADE a.s.. 2007年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月16日閲覧。
  22. ^ a b Leipziger Nahverkehr” (ドイツ語) (2005年2月18日). 2019年9月9日閲覧。
  23. ^ 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年10月18日第1刷、52頁。ISBN 4-87503-268-4 
  24. ^ Pragoimex” (英語). 2020年1月12日閲覧。

参考文献

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  • 大賀寿郎『戎光祥レイルウェイ・リブレット1 路面電車発達史 ―世界を制覇したPCCカーとタトラカー』戎光祥出版、2016年3月。ISBN 978-4-86403-196-7 
  • 鹿島雅美「ドイツの路面電車全都市を巡る 15」『鉄道ファン』第47巻第2号、交友社、2007年2月、142-147頁。 

外部サイト

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