[go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

スポルティング・デ・ヒホン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スポルティング・デ・ヒホン
原語表記 Real Sporting de Gijón, S.A.D.
愛称 Rojiblancos (赤と白)
クラブカラー    
   
創設年 1905年
所属リーグ セグンダ・ディビシオン
所属ディビジョン 2部(2023–24
昨季リーグ順位 17位(2022-23
ホームタウン アストゥリアス州の旗 アストゥリアス州ヒホン
ホームスタジアム
エル・モリノン=エンリケ・カストロ・"キニ"
収容人数 30,000人
代表者 メキシコの旗 Orlegiグループ
監督 スペインの旗 ミゲル・アンヘル・ラミレス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レアル・スポルティング・デ・ヒホン, S.A.D.(Real Sporting de Gijón S.A.D. (スペイン語発音: [reˈal esˈpoɾtin de xiˈxon]))は、スペインアストゥリアス州ヒホンに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンはセグンダ・ディビシオンに所属している。

概要

[編集]

1905年7月1日に創設された。愛称はロヒブランコス(Rojiblancos、赤と白)。ホームスタジアムであるエル・モリノンは1908年に建てられており、スペイン国内のプロサッカー場としては最も歴史のあるスタジアムである。ラ・リーガ通算順位表では15位に位置し、セグンダ・ディビシオンB(3部)以下でプレーしたことのない9つのクラブのひとつである。同じアストゥリアス州内のレアル・オビエドとライバル関係にあり[1]、両クラブが同じディビジョンに属している時にはアストゥリアス・ダービーが行われる。

歴史

[編集]
昇格を祝う選手とファンたち(2008年6月)

1905年7月1日にスポルティング・ヒホネス (Sporting Gijonés)という名称で設立され、アンセルモ・ロペスが初代会長となった。1912年にはスペイン国王のアルフォンソ13世がスペイン王室の庇護を与え、「国王の」を表すRealをクラブ名に取り入れてレアル・スポルティング・クルブ・ヒホネス (Real Sporting Club Gijonés)と改名した。1916年には現在の名称であるレアル・スポルティング・デ・ヒホン (Real Sporting de Gijón)に改名した。

1941-42シーズンから3シーズン続けてセグンダ・ディビシオンで優勝して昇格プレーオフに出場し、1943-44シーズン終了後には初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めた。1970年代後半と1980年代前半にはクラブの黄金期を迎え、リーグ戦とカップ戦(コパ・デル・レイ)で優勝を争った。1970年代にはキニがプリメーラ・ディビシオンで3度得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、1981-82シーズンと1982-83シーズンには2シーズン連続でコパ・デル・レイ準優勝を果たした。また、1977-78シーズンから1997-98シーズンまで21シーズン連続でプリメーラ・ディビシオンに在籍し、この期間中にはUEFAカップに6度出場した。ラウンド32に4度、ラウンド16に2度進出しており、直近の出場は1991-92シーズンである。1997-98シーズンは無残な成績でセグンダ・ディビシオン降格となり、1998-99シーズンから2007-08シーズンまでの10シーズンはセグンダ・ディビシオンでプレーした。

2007-08シーズンはセグンダ・ディビシオンを3位で終え、11シーズンぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。2008-09シーズンは開幕戦から5試合で20失点を喫したが、その後は強豪のバレンシアCFセビージャFCに勝利するなど健闘した。降格もやむなしと思われたが、34節まで引き分けゼロという攻撃サッカーを貫き、14位で残留を決めた。敗戦数はリーグ最多タイ、失点数は断トツでリーグ最多だった。2011年4月2日のレアル・マドリード戦(1-0)に勝利し、ジョゼ・モウリーニョ監督が続けていたホームで9年間負けなしという記録を途切れさせた[2]

2022年にクラブは、メキシコに拠点を置きサントス・ラグナアトラスFCを所有するOrlegiグループによって約30年間オーナーを務めたフェルナンデス家から買収された[3]

クラブカラーと紋章

[編集]
ヒホン市の旗
スポルティング・ヒホンの旗

クラブ創設当初から赤と白の縦縞のユニフォームを着用している。現在、赤と白のユニフォームを着るアスレティック・ビルバオアトレティコ・マドリードは1909年まで青と白のユニフォームを着ており、赤と白の縦縞でプレーしたプリメーラ・ディビシオンのチームはスポルティング・ヒホンが最初である。この配色はヒホン市の公式旗に由来しており、ヒホン市の公式旗は1845年に誕生したヒホン沿岸州の旗に由来している[4]。古い歴史を持つ多くのクラブと同じく、当初はユニフォームにいかなるバッジも付けていなかったが、1920年代に初めて公式バッジが採り入れられた。それは伝統的に盾の形(逆三角形)をして3つのセクションに分けられ、クラブと市を象徴している。1931年から1936年までのスペイン内戦中は丸い盾の形をしており、最上部の王冠は城壁冠に変えられた。 現在のバッジは逆三角形をしており、赤と白の縦縞が施され、その中央に金色でS(SportingのS)とG(GijonのG)の文字が配置されている。最上部には国王の庇護の象徴である王冠を置いている[5]

クラブの公式旗は縦横2:3の長方形で、赤と白の9本の横縞(一番上と一番下は赤)で構成されている。中央右寄りにクラブのロゴがデザインされている。

サポーター

[編集]

たいていのホームゲームでは、大部分の席はシーズンチケット購入者か、21,000人いるソシオと呼ばれるファンクラブ加入者で占められる[6]。これらのソシオ以外に、スペイン国内外に240以上のファンクラブ(クラブが認知している公式のもののみ)がある[7] 。2008-09シーズンの1試合平均観客数は21,491人であり、リーグで10番目に多かった。総座席数に占める観客数は84%であり、リーグで5番目であった[8]

スポルティングイスタス(Sportinguistas)と呼ばれるサポーター集団がある[9]。スペインのクラブの中でもっともクラブに対する忠誠心があり、アウェー戦に多く詰めかけ、活発なサポーター集団のひとつであると広く認識されており[10][11][12]、試合では素晴らしい雰囲気を作り上げる[13]。スポルティングイスタスに続くサポーター集団としてはラ・マレオーナ(La Mareona)がある。

2008年6月にヒホン市で行われたプリメーラ・ディビシオン昇格を祝うイベントには約30万人が詰めかけた[14]

練習場と下部組織

[編集]

1978年3月28日にエスクエラ・デ・フトボル・デ・マレオ(通称マレオ)という名前の練習場が完成し、下部組織も同名のマレオと呼ばれている。練習場としてのマレオは市街地から7kmの距離にあり、112,000m2の広さを誇る。マレオではトップチームの練習と下部組織のチームの試合が行われている。現在、マレオには8つのグラウンドがあり、屋内練習場や医療センターを備えた建物も併設している。

スポルティング・ヒホンの下部組織は優れた選手を数多く輩出することで知られている。1968年にトップチームデビューしたFWキニはプリメーラ・ディビシオンで3度、セグンダ・ディビシオンで2度得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、FCバルセロナを経てスポルティング・ヒホンで現役引退した。1984年にはGKフアン・カルロス・アブラネードがトップチームデビューし、1999年までスポルティング・ヒホン一筋であった。アブラネードはスペイン代表キャップこそ少ないが2度のFIFAワールドカップに出場している。MFルイス・エンリケは1989年にトップチームデビューし、その後はFCバルセロナとレアル・マドリードでプレーした。ルイス・エンリケと同じく1989年にトップチームデビューしたDFアベラルドは、やはりルイス・エンリケと同じくバルセロナオリンピック優勝メンバーのひとりであり、2度のFIFAワールドカップに出場した。FWダビド・ビジャは2000年にトップチームデビューし、バレンシアCFやFCバルセロナなどで活躍している。スペイン代表として出場したUEFA欧州選手権20082010 FIFAワールドカップで得点王に輝いた。

ユニフォーム

[編集]
エスタディオ・ムニシパル・エル・モリノン
期間 サプライヤー 胸スポンサー
1985–1986 アディダス なし
1986–1989 Cajastur
1989–1992 Rasán
1992–1995 ロット
1995–1997 ホマ
1997–2002 Astore ヒホン市
2002–2011 ヒホン市

アストゥリアス州政府

2011–2013 Kappa
2013-2016 ヒホン市
2016-2017 ナイキ
2017-2018 Teslacard
2018-2019 Pastón
2019-2020 Interwetten
2020-2022 Integra Energía
2022- プーマ

タイトル

[編集]

クラブタイトル

[編集]
最高位 2位 : 1978-79[15]
最高位 2位 : 1981[16], 1982[17]
優勝5回 : 1943-44, 1950-51, 1956-57, 1969-70, 1976-77

個人タイトル

[編集]

ピチーチ賞

[編集]

サモラ賞

[編集]

成績

[編集]

近年の成績

[編集]
シーズン リーグ戦 コパ・デル・レイ
ディビジョン  試  勝  分  敗  得  失  順位
2013-14 セグンダ 42 16 16 10 63 51 64 5位 2回戦敗退
2014-15 セグンダ 42 21 19 2 57 27 82 2位 2回戦敗退
2015-16 プリメーラ 38 10 9 19 40 62 39 17位 ベスト32
2016-17 プリメーラ 38 7 10 21 42 72 31 18位 ベスト32
2017-18 セグンダ 42 21 8 13 60 40 71 4位 3回戦敗退
2018-19 セグンダ 42 16 13 13 43 38 61 9位 ベスト16
2019-20 セグンダ 42 14 12 16 40 38 54 13位 1回戦敗退
2020-21 セグンダ 42 17 14 11 37 28 65 7位 ベスト32
2021-22 セグンダ 42 11 13 18 43 48 46 17位 ベスト16
2022-23 セグンダ 42 11 17 14 43 48 50 17位 ベスト16
2023-24 セグンダ 42

過去の成績

[編集]
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1929 2 セグンダ 4位 ベスト32
1929-30 2 セグンダ 2位 ベスト32
1930-31 2 セグンダ 4位 ベスト16
1931-32 2 セグンダ 3位 ベスト4
1932-33 2 セグンダ 6位 ベスト16
1933-34 2 セグンダ 6位 ベスト16
1934-35 2 セグンダ 3位 ベスト16
1935-36 2 セグンダ 3位 3回戦敗退
1939-40 2 セグンダ 3位 ベスト16
1940-41 2 セグンダ 3位 3回戦敗退
1941-42 2 セグンダ 1位 ベスト32
1942-43 2 セグンダ 1位 ベスト32
1943-44 2 セグンダ 1位 ベスト32
1944-45 1 プリメーラ 7位 ベスト16
1945-46 1 プリメーラ 9位 ベスト16
1946-47 1 プリメーラ 10位 1回戦敗退
1947-48 1 プリメーラ 14位 6回戦敗退
1948-49 2 セグンダ 6位 5回戦敗退
1949-50 2 セグンダ 3位 2回戦敗退
1950-51 2 セグンダ 1位 ベスト8
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1951-52 1 プリメーラ 13位
1952-53 1 プリメーラ 7位 ベスト16
1953-54 1 プリメーラ 16位
1954-55 2 セグンダ 4位
1955-56 2 セグンダ 7位
1956-57 2 セグンダ 1位
1957-58 1 プリメーラ 12位 ベスト16
1958-59 1 プリメーラ 15位 ベスト16
1959-60 2 セグンダ 5位 ベスト8
1960-61 2 セグンダ 13位 ベスト32
1961-62 2 セグンダ 13位 1回戦敗退
1962-63 2 セグンダ 5位 ベスト32
1963-64 2 セグンダ 2位 1回戦敗退
1964-65 2 セグンダ 3位 ベスト8
1965-66 2 セグンダ 3位 ベスト32
1966-67 2 セグンダ 2位 1回戦敗退
1967-68 2 セグンダ 5位 ベスト32
1968-69 2 セグンダ 5位
1969-70 2 セグンダ 1位 4回戦敗退
1970-71 1 プリメーラ 12位 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1971-72 1 プリメーラ 11位 ベスト16
1972-73 1 プリメーラ 14位 ベスト4
1973-74 1 プリメーラ 13位 5回戦敗退
1974-75 1 プリメーラ 14位 4回戦敗退
1975-76 1 プリメーラ 18位 ベスト16
1976-77 2 セグンダ 1位 3回戦敗退
1977-78 1 プリメーラ 5位 ベスト4
1978-79 1 プリメーラ 2位 3回戦敗退
1979-80 1 プリメーラ 3位 ベスト4
1980-81 1 プリメーラ 7位 準優勝
1981-82 1 プリメーラ 14位 準優勝
1982-83 1 プリメーラ 8位 ベスト4
1983-84 1 プリメーラ 13位 ベスト8
1984-85 1 プリメーラ 4位 ベスト8
1985-86 1 プリメーラ 6位 3回戦敗退
1986-87 1 プリメーラ 4位 2回戦敗退
1987-88 1 プリメーラ 9位 ベスト16
1988-89 1 プリメーラ 13位 ベスト16
1989-90 1 プリメーラ 13位 ベスト8
1990-91 1 プリメーラ 5位 ベスト4
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1991-92 1 プリメーラ 8位 ベスト4
1992-93 1 プリメーラ 12位 ベスト16
1993-94 1 プリメーラ 14位 ベスト16
1994-95 1 プリメーラ 18位 ベスト4
1995-96 1 プリメーラ 18位 ベスト16
1996-97 1 プリメーラ 15位 3回戦敗退
1997-98 1 プリメーラ 20位 2回戦敗退
1998-99 2 セグンダ 9位 4回戦敗退
1999-00 2 セグンダ 9位 1回戦敗退
2000-01 2 セグンダ 7位 ベスト64
2001-02 2 セグンダ 6位 ベスト16
2002-03 2 セグンダ 10位 ベスト64
2003-04 2 セグンダ 5位 ベスト64
2004-05 2 セグンダ 11位 ベスト64
2005-06 2 セグンダ 9位 1回戦敗退
2006-07 2 セグンダ 13位 2回戦敗退
2007-08 2 セグンダ 3位 2回戦敗退
2008-09 1 プリメーラ 14位 ベスト8
2009-10 1 プリメーラ 15位 ベスト32
2010-11 1 プリメーラ 10位 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2011-12 1 プリメーラ 19位 ベスト32
2012-13 2 セグンダ 10位 ベスト32
2013-14 2 セグンダ 5位 2回戦敗退
2014-15 2 セグンダ 2位 2回戦敗退
2015-16 1 プリメーラ 17位 ベスト32
2016-17 1 プリメーラ 18位 ベスト32
2017-18 2 セグンダ 4位 3回戦敗退
2018-19 2 セグンダ 9位 ベスト16
2019-20 2 セグンダ 13位 1回戦敗退
2020-21 2 セグンダ 7位 ベスト32
2021-22 2 セグンダ 17位 ベスト16
2022-23 2 セグンダ 17位 ベスト16
2023-24 2 セグンダ

欧州の成績

[編集]
シーズン 大会 ラウンド 対戦相手 ホーム アウェー 合計
1978-79 UEFAカップ 1回戦 イタリアの旗 トリノ 3-0 0-1 3-1
2回戦 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ツルヴェナ・ズヴェズダ 0-1 1-1 1-2
1979-80 UEFAカップ 1回戦 オランダの旗 PSV 0-0 0-1 0-1
1980-81 UEFAカップ 1回戦 チェコスロバキアの旗 ボヘミアンズ 2-1 1-3 3-4
1985-86 UEFAカップ 1回戦 西ドイツの旗 ケルン 1-2 0-0 1-2
1987-88 UEFAカップ 1回戦 イタリアの旗 ミラン 1-0 0-3 1-3
1991-92 UEFAカップ 1回戦 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 パルティザン 2-0 0-2
(a.e.t.)
2-2
(3-2 p)
2回戦 ルーマニアの旗 FCSB 2-2 0-1 2-3

現所属メンバー

[編集]
2024年1月18日現在[18][19]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK スペイン ルベン・ジャニェス
2 DF スペイン ギジェ・ロサス
3 DF スペイン コテ
4 DF スペイン パブロ・インスア
5 DF スペイン パブロ・ガルシア
6 MF スペイン ナチョ・マルティン
7 MF スペイン ガスパール・カンポス
8 MF スペイン フラン・ビジャルバ
9 FW スペイン ダニエル・ケイポ
10 MF スペイン ナチョ・メンデス
11 FW スペイン ビクトル・カンプサーノ
12 MF フランス ジョナサン・ヴァラン
13 GK キューバ クリスティアン・ジョエル
14 DF コートジボワール アクセル・バンバ
No. Pos. 選手名
15 MF スペイン ロケ・メサ
16 DF スペイン ディエゴ・サンチェス
17 MF スペイン クリスティアン・リベラ
18 MF ウルグアイ ジョバンニ・サルフィーノ
19 FW コロンビア フアン・オテロ
20 FW スペイン マリオ・ゴンサレス
21 FW フランス ハイセム・ハッサン
22 DF スペイン ロベル・ピエル
23 FW モンテネグロ ウロシュ・ジュルジェヴィッチ
24 DF アルゼンチン カルロス・イスキエルドス
25 DF ルーマニア アレックス・パシュカヌ
35 FW スペイン マルコス・フェルナンデス
36 GK スペイン パブロ・ディエス

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

監督

歴代会長

[編集]
2023年6月17日現在
  • スペインの旗 アルセルモ・ロペス・サンチェス 1905-1915
  • スペインの旗 フェルナンド・キロス 1915-1917
  • スペインの旗 マヌエル・ゴンサーレス・リエラ 1917-1919
  • スペインの旗 エンリケ・ギサソーラ・マルティネス 1919-1921
  • スペインの旗 イスマエル・フィガレード・エレーロ 1921-1928
  • スペインの旗 ロベルト・G・デ・アグスティーナ 1928-1930
  • スペインの旗 ペドロ・ガルヌング・ポルティーリャ 1930-1934
  • スペインの旗 エミリオ・トゥージャ・ガルシア 1934-1935
  • スペインの旗 フェリクス・ギサソーラ 1935-1938
  • スペインの旗 ペドロ・ゴンサーレス・デル・リオ 1938-1940
  • スペインの旗 セクンディーノ・フェルゲローソ 1940-1945
  • スペインの旗 フアン・ベラスコ・ネスプラル 1945-1946
  • スペインの旗 ヘスス・フェルナンデス・エルナンデス 1946-1947
  • スペインの旗 ホセ・マリア・フェルナンデス・アルバレス 1947-1948
  • スペインの旗 セクンディーノ・フェルゲローソ 1948-1949(2度目の就任)
  • スペインの旗 パウリーノ・アントン・トレスパラシオス 1949-1954
  • スペインの旗 ホアキン・アロンソ・ディエス 1954-1955
  • スペインの旗 エウスタキオ・カンポマネス・ゴンサーレス 1955-1957
  • スペインの旗 アレハンドロ・ピダル・ギルオウ 1957-1959
  • スペインの旗 ラモン・ゴメス・ロサーナ 1959-1960
  • スペインの旗 アウレリオ・メネンデス・ゴンサーレス 1960-1961
  • スペインの旗 フランシスコ・キロス・ロドリゲス 1961
  • スペインの旗 ビクトール・フェルゲローソ 1961-1967
  • スペインの旗 アントニオ・ロイバス・デ・インサ 1967-1968
  • スペインの旗 カルロス・メンデス・クエルボ 1968-1973
  • スペインの旗 アンヘル・ビエホ・フェリウ 1973-1977
  • スペインの旗 マヌエル・ベガ=アランゴ 1977-1986
  • スペインの旗 ラモン・ムニョス・フェルナンデス 1986-1989
  • スペインの旗 プラシード・ロドリゲス・ゲレーロ 1989-1992
  • スペインの旗 エロイ・カルボ・カペリン 1992-1994
  • スペインの旗 マヌエル・カルボ・プンピード 1994
  • スペインの旗 ホセ・フェルナンデス・アルバレス 1994-19997
  • スペインの旗 アンヘル・ガルシア・フロレス 1997-1998
  • スペインの旗 ヘルマン・オヘーダ・グティエレス 1998-1999
  • スペインの旗 フアン・アランゴ 1999-2002
  • スペインの旗 マヌエル・ベガ=アランゴ 2002-2013(2度目の就任)
  • スペインの旗 アントニオ・ヴェイガ・スアレス 2013-2016
  • スペインの旗 ハビエル・フェルナンデス・ロドリゲス 2016-2022
  • メキシコの旗 アレハンドロ・イララゴッリ 2022-

歴代監督

[編集]

1922年から今日に至るまでにヒホンの監督を務めた人物の一覧である[20]プリメーラ・ディビシオンで最も長く務めたのはホセ・マヌエル・ディアス・ノボアであり、1979年から1999年の間の6期間に渡って計227試合を指揮した。

スペイン内戦前
スペイン内戦後

歴代所属選手

[編集]

GK

[編集]

DF

[編集]

MF

[編集]

FW

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Real Oviedo, Real who?”. SpanishFootball.info. 2011年5月24日閲覧。
  2. ^ モウリーニョ、無敗記録が途絶えるもヒホンを称賛”. Goal.com (2011年4月3日). 2011年10月6日閲覧。
  3. ^ Mexican-based group buys Spanish club Sporting Gijón”. The San Diego Union-Tribune (2022年6月28日). 2023年6月17日閲覧。
  4. ^ Las Banderas del Club” (Spanish). Real Sporting.com. 2009年10月8日閲覧。
  5. ^ Los Escudos” (Spanish). RealSporting.com. 2009年10月8日閲覧。
  6. ^ El Sporting alcanza los 21.000 socios” (Spanish). La Nueva España. 2009年10月8日閲覧。
  7. ^ Premio para el consejero Mariano Fernández” (Spanish). La Nueva España. 2010年1月20日閲覧。
  8. ^ Attendances - Liga BBVA 2008-2009
  9. ^ PortalSportinguista.com
  10. ^ Sporting Gijon To Take 4,000 Fans To Valladolid”. Goal.com. 2009年10月8日閲覧。
  11. ^ Spanish Inquisition: Sporting de Gijón, the darlings of Spain”. Goal.com. 2009年10月8日閲覧。
  12. ^ Lowe, Sid (2008年9月22日). “Even the result can't spoil Real Sporting de Gijón's party”. London: The Guardian. http://www.guardian.co.uk/sport/blog/2008/sep/22/sportinggijon.barcelona 2009年10月8日閲覧。 
  13. ^ Spanish Debate: The Best Stadium In La Liga”. Goal.com. 2009年10月8日閲覧。
  14. ^ Gijón está de fiesta 10 años después” (Spanish). Marca. 2009年10月8日閲覧。
  15. ^ Spain - Final Table 1978-79
  16. ^ Spain - Cup 1981
  17. ^ Spain - Cup 1982
  18. ^ Plantilla RSG”. Sporting de Gijón. 2021年2月1日閲覧。
  19. ^ Real Sporting de Gijón SAD”. La Liga (USA) Inc.. 2021年2月1日閲覧。
  20. ^ Los entrenadores del Real Sporting”. RealSporting.com. 2010年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月25日閲覧。

外部リンク

[編集]
公式ウェブサイト
ニュースサイト