ジェフ・ルーランド
引退 | |
---|---|
ポジション | C/PF |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1958年12月16日(65歳) |
出身地 | ニューヨーク州ベイショア |
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) |
体重(現役時) | 109kg (240 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | アイオナ大学 |
ドラフト | 1980年 25位 |
選手経歴 | |
1980-1981 1981-1986 1986-1987 1992 1992-1993 |
FCバルセロナ ワシントン・ブレッツ フィラデルフィア・76ers フィラデルフィア・76ers デトロイト・ピストンズ |
指導者経歴 | |
1998-2007 2007-2008 2009-2013 |
アイオナ大学 アルバカーキ・サンダーバーズ ディストリクト・オブ・コロンビア大学 |
受賞歴 | |
| |
Stats Basketball-Reference.com | |
ジェフリー・アラン・ルーランド (Jeffrey Alan Ruland, 1958年12月16日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長208cm、体重109kg。ポジションはセンター及びパワーフォワード。
経歴
[編集]ルーランドはアイオナ大学でプレーした3年間で平均20.8得点12.0リバウンドを記録した。1980年にはチームを学校史上最高となる全米ランキング19位に導いた。同年NBAドラフト全体25位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されたが入団せず、スペイン1部リーグのFCバルセロナと契約して1シーズンプレーし、チームのリーグ優勝に貢献した。
1981年、ルーランドはNBAのワシントン・ブレッツに入団した。2年目の1982-83シーズン途中でスペンサー・ヘイウッドに代って先発に昇格し、得点とリバウンドでチームトップの数字を記録した。3年目の1983-84シーズン、ルーランドは平均出場時間41.1分(リーグ1位)22.2得点12.3リバウンド(同3位)の好成績を残し、自身初のオールスター出場を果たした。翌1984-85シーズンも平均18.9得点11.1リバウンドで2年連続のオールスターに選ばれたが、足の負傷により45試合を欠場した。
これ以降、ルーランドは慢性的な膝の怪我に悩まされるようになり、1985-86シーズンは30試合の出場に留まった。この年プレーオフで3年連続となる1回戦敗退に終ったブレッツは、ルーランドをフィラデルフィア・76ersにトレードした。76ersで5試合に出場した後、ルーランドは一旦現役引退を表明した。1992年に復帰して76ersとデトロイト・ピストンズで計24試合に出場し、1993年に再度現役を引退した。
NBAでの成績は、332試合の出場で5,763得点3,378リバウンド(平均17.4得点10.2リバウンド)、フィールドゴール成功率.564であった。
引退後、ルーランドは76ersでアシスタントコーチを1シーズン務め、1998年に母校アイオナ大学のヘッドコーチに就任した。アイオナ大学では9年間でチームをNCAAトーナメントに3度導いた。2007年に解任された後は、DリーグやNCAAディビジョンⅡでヘッドコーチを務めている。