黒田長敬
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黒田 長敬(くろだ ながあつ、1885年(明治18年)7月21日[1] - 1963年(昭和38年)3月24日[1][2])は、明治後期から昭和期の宮内官、華族。旧秋月藩黒田家13代当主、黒田子爵家2代当主。貴族院子爵議員。初名は静男[1]。
経歴
[編集]筑前福岡藩最後の藩主黒田長知の五男[1]。筑前秋月藩最後の藩主で子爵の黒田長徳の養子となる[1]。長徳の死去に伴い、1892年(明治25年)7月20日、家督を継ぎ子爵を襲爵[1]。同年7月22日に長敬と改名した[3]。1906年(明治39年)7月、学習院高等科を卒業した[2]。その後、アメリカ合衆国に留学し1912年(明治45年)コーネル大学文理科を卒業[2][4]。
帰国後、1914年(大正3年)宮内省に入省し大正天皇の侍従となり宮内事務官を兼務[2]。以後、兼式部官、兼東宮侍従、兼皇后宮事務官、内廷課長、大膳頭などを歴任した[2][4]。その他、若松築港(現若築建設)取締役を務めた[2]。
1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員に補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]- 妻は小出恵子(丹波国園部藩10代藩主・子爵小出英尚四女)[1]。
- 子女に黒田長栄(14代当主、秋月郷土館理事長)[7]、礼子(徳川義忠夫人・男爵徳川義恕の三男)、康子(大木九兵衛夫人)、黒田長美がいる[1]。
- 15代当主黒田長幹は孫にあたる[7]。
栄典
[編集]- 1910年(明治43年)8月10日 - 正五位[8]
- 1916年(大正5年)8月21日 - 従四位[9]
- 1925年(大正14年)5月10日 - 単光旭日章[10]
- 1931年(昭和6年)3月20日 - 帝都復興記念章[11]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[12]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』566頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』43頁。
- ^ 『官報』第2722号、明治25年7月25日。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』ク78頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、56頁。
- ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。
- ^ a b “秋月博物館:秋月黒田家15代・長幹さん、名誉館長に就任 /福岡”. 毎日新聞社. 2022年2月12日閲覧。
- ^ 『官報』第8142号「叙任及辞令」1910年8月11日。
- ^ 『官報』第1219号「叙任及辞令」1916年8月22日。
- ^ 『官報』第3814号「叙任及辞令」1925年5月13日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 黒田長徳 |
子爵 (秋月)黒田家第2代 1892年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |