須貝富蔵
表示
すがい とみぞう 須貝 富蔵 | |
---|---|
生誕 |
1880年4月30日 新潟県 |
死没 | 1948年4月8日(67歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 興行主 |
著名な実績 | 須貝興行(現・スガイ・エンタテインメント)創始者 |
子供 | 息子:須貝富安 |
須貝 富蔵(すがい とみぞう、1880年〈明治13年〉4月30日 - 1948年〈昭和23年〉4月8日)は、新潟県出身の興行主。
須貝興行の創始者であり[1]、北海道興行界の大立者とされる[2]。スガイ・エンタテインメント社長・会長の須貝富安は次男[3]。
経歴
[編集]1880年(明治13年)4月30日、新潟県に生まれた[2]。1899年(明治32年)に北海道に渡り[4]、樺太で漁業に携わった[5]。
1916年(大正5年)には北海道札幌市に実演劇場として札幌館を開館させ、1918年(大正7年)には札幌館を札幌座に改称した[2]。札幌座は畳敷きの芝居小屋であり、地方巡業の歌舞伎や新派劇などの公演が行われた[2]。1926年(大正15年)には札幌座を増改築して札幌劇場に改称した[2]。
1926年(大正15年)には小樽市に小樽中央座を開館させ、さらに函館市に巴座を開館させた[2]。その後、室蘭市に室蘭大黒座や輪西大黒座を開館させた[2]。1930年(昭和5年)から戦後の1947年(昭和22年)まで、須貝が勧進元となって大日本相撲協会(現・日本相撲協会)札幌場所を主催した[2]。
太平洋戦争中には北海道興行環境衛生同業組合が設立され、須貝は推されて初代理事長に就任した[2]。戦後の1946年(昭和21年)、札幌劇場を映画常設館とした[2]。1948年(昭和23年)4月8日に死去した[2]。次男の富安が須貝興行の経営を継いでいる[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『札幌人名事典』〈さっぽろ文庫〉北海道新聞社、1993年