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静岡バンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

静岡バンド(しずおかバンド)は、1872年明治5年)に形成された、静岡メソジストキリスト教徒による集団を指す名前である。

歴史

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旧幕臣の今井信郎が駿府城の敷地を買い取り、静岡藩の藩学校の寄宿舎を払い下げてもらって、旧幕臣のための学校を設立した[1]

その、学校が設立されたとき、旧幕臣の面倒を見ていた勝海舟アメリカ人教師を招聘したいと考えた。

1871年(明治4年)勝海舟の旧知W・E・グリフィス宣教師の推薦により、グリフィスのラトガース大学の同窓であるE・W・クラーク静岡学問所に赴任する。

クラークは倫理歴史英語物理化学数学を教え、日曜日には自宅でバイブルクラスを開いた[2]

1872年(明治5年)4月、カナダ・メソジスト教会の宣教医のデイヴィッドソン・マクドナルドが、クラークの後任のお雇い教師として派遣された。奥村昌綱木原外七の日本人教師も加わり、英語漢学数学、農業実習などを教える。さらに、兵式体操軍事演習などを教えた。

静岡学問所が廃止されて、賤機舎と改称される。マクドナルドは教師を続け、毎週日曜日に牧師館で聖書講座を開催した。キリスト教の布教は禁じられていたが、岩倉具視により黙認された[3]

マクドナルドは1872年9月27日に11名の学生【山中笑露木誠一村松一三木自道日根野弘之諏訪昇栗島重清小倉烈佐藤重道(後の佐藤顕理)・山中常慶・杉山彦六(後の土屋彦六) 】に洗礼を授け、静岡教会が発足した。また、静岡教会のクリスチャンたちは協力して、静岡教会を中心に伝道を精力的に行った。この集団を後に静岡バンドと呼ぶようになった。

主なメンバー

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三大バンド

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その他のバンド

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脚注

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  1. ^ 今井幸彦(2009年)197頁
  2. ^ 守部喜雅(2010)35頁
  3. ^ 守部喜雅(2009)94-95頁

参考文献

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  • 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年
  • 守部喜雅『日本宣教の夜明け』いのちのことば社、2009年
  • 今井幸彦『坂本龍馬を斬った男』人物往来社、2009年
  • 守部喜雅『聖書を読んだサムライたち』いのちのことば社、2010年
  • 守部喜雅『勝海舟最後の告白』いのちのことば社、2011年
  • 太田愛人『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』中公文庫、1992年
  • 125年史編纂委員会『静岡教会一二五年史』、2009年