鈴木悟 (サッカー選手)
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名前 | ||||||
カタカナ | スズキ サトル | |||||
ラテン文字 | SUZUKI Satoru | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1975年7月19日(49歳) | |||||
出身地 | 静岡県 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 両足 | |||||
ユース | ||||||
1991-1993 | 清水商業高校 | |||||
1994-1997 | 順天堂大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2003 | セレッソ大阪 | 175 | (6) | |||
2004-2006 | 京都パープルサンガ | 50 | (3) | |||
通算 | 225 | (9) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
鈴木 悟(すずき さとる、1975年7月19日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。妻は、毎日放送アナウンサーの松本麻衣子。
来歴
[編集]選手時代
[編集]清水市立商業高等学校3年生の時に、後にJリーガーとなる小川雅己、川口能活、田中誠、清水龍蔵、山口博匡とともに、第72回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。本来のポジションは左サイドバックだが、キック力も高いことから、選手権中の試合によっては左ウイングで出場することもあった。その一方で、チームから8人が「静岡県選抜」で出場した東四国国体(1993年)サッカー・少年男子の部では、同チームの選抜メンバーから外れた。この一件を境に、「今のままではプロ(創設2年目のJリーグ)に進んでも通用しない」と考えたうえで、順天堂大学への進学を決めた[1]。
順天堂大時代には、「プロになるための方法」として、細かく目標を立てて準備することを徹底[1]。その甲斐あって、卒業後の1998年にセレッソ大阪へ入団した。
セレッソでは、レギュラー格で公式戦へコンスタントに出場していたが、2003年のシーズン終了後に戦力外を通告。鈴木によれば、この通告を機に、「セカンドキャリア」としてメディア関連業界への転職(後述)を意識するようになったという。しかし実際には、複数のクラブから移籍を打診された末に、同じ関西圏の京都パープルサンガへの移籍を決めた。移籍の決め手になったのは、セレッソ時代の監督だった西村昭宏が、2004年からパープルサンガの監督に就任したことであった[2]。
パープルサンガでは、セレッソ時代と同様のペースで、公式戦への出場を続けていた。ところが、3年目に当たる2006年5月に、右膝前十字靱帯の断裂で自身初の長期離脱を経験。重症だったにもかかわらず、前向きな姿勢でリハビリに励んだことが功を奏して、チームの最年長選手(当時31歳)ながら5ヶ月後には実戦復帰を果たした[2]。しかし、同年のシーズン終了後に、自身2度目の戦力外通告を受けた。
現役引退後
[編集]「あと2年プレーを続けても、33歳で全く違う仕事に移るのは厳しい」という理由で、2007年3月6日付の移籍リストで引退を発表。引退後は、テレビ番組の制作会社であるイングスへ就職するとともに、サッカーに関するテレビ・ラジオ番組のディレクターに転身した[3]。鈴木は、セカンドキャリアをサッカー界の周辺に求めた理由として、「サッカーしかやってこなかった自分が、サッカーの世界でしか動かなかったら、考え方は変わらないし世界観が狭くなってしまう」「外からサッカーを見る仕事に就くことで、人間としての幅を広げたかった」と語っている[2]。
ディレクターとして初めて手掛けた番組は、セレッソ時代のチームメイト・森島寛晃の現役引退記念特別番組『ありがとうミスターセレッソ森島寛晃 〜引退・日本一腰の低いJリーガー〜』(2009年2月1日に毎日放送が関西ローカルで放送)[4]。現在は、関西圏で開催されるJリーグの中継に携わるかたわら、ABCテレビのスポーツ部で『Monday! SPORTS - JAM』(ABCラジオ)などの番組の制作を受け持つ[5]。ちなみに同番組では、Jリーグでのプレー経験を買われて、「F.C.オフサイドトーク」(サッカー情報コーナー)へコメンテーターとして出演することもある[6]。
2013年10月には、毎日放送のサッカー中継を通じて知り合った松本との結婚を発表した[7]。
所属クラブ
[編集]- 清水市立商業高等学校
- 順天堂大学
- 1998年 - 2003年 セレッソ大阪
- 2004年 - 2006年 京都パープルサンガ
プレースタイル
[編集]堅実な守備が持ち味の左サイドバックで、守備的なポジションであればどこでもこなせた。また、ディフェンダーでありながらフリーキックが得意。パープルサンガ時代の2005年には、J2のリーグ戦で、直接フリーキックによって2得点を挙げた[要出典]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | C大阪 | 28 | J | 33 | 3 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 3 |
1999 | 14 | J1 | 21 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 27 | 0 | |
2000 | 30 | 1 | 4 | 0 | 2 | 0 | 36 | 1 | |||
2001 | 23 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 29 | 0 | |||
2002 | 7 | J2 | 43 | 2 | - | 4 | 0 | 47 | 2 | ||
2003 | J1 | 25 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | 34 | 0 | ||
2004 | 京都 | 2 | J2 | 27 | 1 | - | |||||
2005 | 18 | 2 | - | ||||||||
2006 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 137 | 4 | 17 | 0 | |||||
日本 | J2 | 88 | 5 | - | |||||||
総通算 | 225 | 9 | 17 | 0 |
脚注
[編集]- ^ a b OCNスポーツ サッカーコラム「OB選手たちの現在 鈴木 悟(元セレッソ大阪、京都パープルサンガ)」pp.1
- ^ a b c OCNスポーツ サッカーコラム「OB選手たちの現在 鈴木 悟(元セレッソ大阪、京都パープルサンガ)」pp.2
- ^ Vol.14 株式会社イングス(『Jフットニスタ』ディレクター)/鈴木悟 REIBOLA 2020年4月10日
- ^ OCNスポーツ サッカーコラム「OB選手たちの現在 鈴木 悟(元セレッソ大阪、京都パープルサンガ)」pp.4
- ^ 2018年12月29日放送のテレビ番組『マンスリーABC』にて、「ABC出前授業」(アナウンサーや報道・制作スタッフが学校に出向いて放送局の仕事を紹介するもの)の模様が取り上げられた際に鈴木が講師として出演していたが(同年12月13日に吹田市立吹田第三小学校を訪問)、肩書・氏名表記が「ABCテレビ スポーツ部 鈴木悟ディレクター」と表記されていた。
- ^ 『Monday! SPORTS - JAM』公式サイト「JAMの部屋」2013年12月9日付記事
- ^ MBS・松本麻衣子アナ、元Jリーガー・鈴木悟さんと結婚(『スポーツ報知』2013年10月29日付記事)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鈴木悟 - FootballDatabase.eu
- 鈴木悟 - WorldFootball.net
- 鈴木悟 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 鈴木悟 - J.League Data Siteによる選手データ