角田誠
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名前 | ||||||
愛称 | カク | |||||
カタカナ | カクダ マコト | |||||
ラテン文字 | KAKUDA Makoto | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年7月10日(41歳) | |||||
出身地 | 京都府宇治市 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1995 |
宇治巨椋ボンバーズ (西小倉小学校) | |||||
1996-1998 |
京都パープルサンガジュニアユース (西小倉中学校) | |||||
1999-2001 |
京都パープルサンガユース (京都翔英高校)[1] | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2001 | 京都パープルサンガ (2種) | 8 | (0) | |||
2002-2003 | 京都パープルサンガ | 47 | (0) | |||
2004-2007 | 名古屋グランパスエイト | 47 | (5) | |||
2006 | → 京都パープルサンガ (loan) | 18 | (1) | |||
2007-2010 | 京都サンガF.C. | 118 | (5) | |||
2011-2014 | ベガルタ仙台 | 106 | (8) | |||
2015 | 川崎フロンターレ | 14 | (0) | |||
2015 | → 清水エスパルス (loan) | 12 | (0) | |||
2016-2018 | 清水エスパルス | 47 | (2) | |||
2019-2020 | V・ファーレン長崎 | 54 | (2) | |||
2021 | ポルベニル飛鳥 | 4 | (0) | |||
通算 | 475 | (23) | ||||
代表歴 | ||||||
2002-2003 | 日本 U-20 | 4 | (0) | |||
2003-2004 | 日本 U-23 | |||||
監督歴 | ||||||
2024- | レイラック滋賀 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年1月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
角田 誠(かくだ まこと、1983年7月10日 - )は、京都府宇治市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
来歴
[編集]7歳でサッカーを始める[2]。宇治市内のクラブチームから京都パープルサンガジュニアのユースに入団し、そのままユースチームまで進んだ。京都ユース時代の2001年、当時のJ2最年少出場記録(17歳10ヵ月13日)でデビューした[3]。アテネオリンピック代表にも呼ばれていたが、最終メンバーからは落選。
2002年、チームはシーズン最高のリーグ5位となり、同年度の天皇杯初優勝に貢献した。
2004年に京都から名古屋グランパスエイトへ移籍。
2006年、J2降格の危機に陥っていた古巣・京都からのオファーを受け、シーズン途中に期限付き移籍で復帰。期限付き移籍満了に伴って翌2007年に名古屋一度は復帰したものの、開幕直前の2月28日に再度のオファーを受け、京都に完全移籍した。
2011年、京都の再度のJ2降格を機に、ベガルタ仙台へ完全移籍[4]。角田は後に、仙台側が「ボランチとして獲得したい」というオファーを出してきた事を後にインタビューで明かしている[5]。仙台入団後はオファーに沿ってボランチとしてプレーし年間順位4位の成績を経験、Jリーグ優秀選手に2011年、2012年の2度選出された[6][7]。2013年は共同主将の1人に起用され[8]、2014年は単独で主将を務めた。
2014年12月19日、川崎フロンターレへ完全移籍することが発表された[9]。 移籍金を払っての獲得であり、DFリーダーとして期待され開幕戦から出場を続けていたが、14節の大敗以降出場機会を失う。
2015年8月1日に清水エスパルスへ期限付き移籍することが発表され[10]、シーズン終了後に完全移籍。
2017年3月18日の鹿島アントラーズ戦では鈴木優磨に対し挑発行為を行い[11]、その後清水は角田に対しリーグ戦1試合出場自粛および罰金処分を科した[12]。
2018年シーズンは、リーグ戦出場が5試合・ルヴァンカップ出場が5試合にとどまった。12月10日、清水との契約満了が発表された[13]。
2018年12月19日、V・ファーレン長崎に加入することが発表された[14]。2020年12月21日、契約満了による退団が発表された[15]。
2021年2月2日、ポルベニル飛鳥へ選手兼任コーチとして加入した[16]。
2021年12月14日、退団及び現役引退を発表[17]。
2022年1月5日、ベガルタ仙台のアシスタントコーチ就任が発表された[18]。
2024年7月31日、レイラック滋賀の監督に就任した[19]。
所属クラブ
[編集]- 宇治巨椋ボンバーズ
- 京都パープルサンガジュニアユース
- 1999年 - 2001年 京都パープルサンガユース
- 2002年 - 2003年 京都パープルサンガ
- 2004年 - 2007年2月 名古屋グランパスエイト
- 2007年3月 - 2010年 京都サンガF.C.
- 2011年 - 2014年 ベガルタ仙台
- 2015年 川崎フロンターレ
- 2015年8月 - 同年12月 清水エスパルス(レンタル移籍)
- 2016年 - 2018年 清水エスパルス
- 2019年 - 2020年 V・ファーレン長崎
- 2021年 ポルベニル飛鳥
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 京都 | 27 | J2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 |
2002 | J1 | 22 | 0 | 5 | 0 | 5 | 0 | 32 | 0 | ||
2003 | 25 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 28 | 0 | |||
2004 | 名古屋 | 20 | 22 | 4 | 6 | 0 | 1 | 1 | 29 | 5 | |
2005 | 22 | 1 | 3 | 1 | 1 | 0 | 26 | 2 | |||
2006 | 3 | 0 | 1 | 0 | - | 4 | 0 | ||||
京都 | 33 | 18 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 20 | 1 | ||
2007 | 名古屋 | 20 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
京都 | 35 | J2 | 41 | 0 | - | 1 | 0 | 42 | 0 | ||
2008 | 26 | J1 | 24 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 29 | 1 | |
2009 | 29 | 0 | 4 | 1 | 2 | 0 | 35 | 1 | |||
2010 | 24 | 4 | 6 | 0 | 1 | 1 | 31 | 5 | |||
2011 | 仙台 | 6 | 29 | 2 | 4 | 1 | 1 | 0 | 34 | 3 | |
2012 | 28 | 0 | 6 | 1 | 1 | 0 | 35 | 1 | |||
2013 | 26 | 5 | 1 | 0 | 4 | 0 | 31 | 5 | |||
2014 | 23 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 28 | 1 | |||
2015 | 川崎 | 3 | 14 | 0 | 3 | 0 | - | 17 | 0 | ||
清水 | 45 | 12 | 0 | - | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
2016 | J2 | 23 | 1 | - | 1 | 0 | 24 | 1 | |||
2017 | J1 | 19 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | 23 | 2 | ||
2018 | 5 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | |||
2019 | 長崎 | 6 | J2 | 29 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 30 | 1 |
2020 | 25 | 1 | - | - | 25 | 1 | |||||
2021 | 飛鳥 | 26 | 関西1部 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 5 | 0 | |
通算 | 日本 | J1 | 345 | 20 | 57 | 4 | 22 | 3 | 424 | 27 | |
日本 | J2 | 126 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 130 | 3 | ||
日本 | 関西1部 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 5 | 0 | |||
総通算 | 475 | 23 | 57 | 4 | 27 | 3 | 559 | 30 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2013 | 仙台 | 6 | 3 | 0 |
通算 | AFC | 3 | 0 |
- 2000年、2001年は二種登録
その他の公式戦
- 2003年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
代表歴
[編集]- 2002年 U-19日本代表
- 2003年 U-20日本代表
- 2003年 U-22日本代表
- 2004年 U-23日本代表
受賞歴
[編集]- Jリーグアウォーズ
- 優秀選手賞 (2011年、2012年)
指導歴
[編集]- 2021年 ポルベニル飛鳥 コーチ
- 2022年 - ベガルタ仙台
- 2022年 トップチーム アシスタントコーチ
- 2023年 - 同年7月 アカデミーコーチ
- 2023年7月 - 2024年1月 ジュニアユース コーチ
- 2024年2月 - 同年7月 アカデミーコーチ
- 2024年7月 - レイラック滋賀 監督
脚注
[編集]- ^ DF 3 角田 誠 川崎フロンターレ公式サイト 2018.10.28 08:00 (UTC) 閲覧
- ^ 白鳥和洋 編『2018J1&J2&J3 選手名鑑』(第1版)日本スポーツ企画出版社、東京都(原著2018年3月23日)、116頁。ISBN 978-4-905411-51-2。
- ^ 角田誠選手にロングインタビューしました。 Zakki ザッキ(いしかわごう公式ブログ)2018.3.25付エントリー
- ^ “角田、松下らが仙台に加入”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年12月30日) 2013年4月15日閲覧。
- ^ 板垣晴朗「INTERVIEW #01 MF6 角田誠 ボランチからの"世界観"」エル・ゴラッソ関西版 No. 1032(2011.7.6)pp. 12-13
- ^ 2011Jリーグ優秀選手賞29人が決定。最多は名古屋の7選手、柏からは6選手が選出 ゲキサカ 2011.12.4付記事
- ^ 2012Jリーグ優秀選手賞受賞者32名を発表 ゲキサカ 2012.12.1付記事
- ^ 2013シーズンキャプテン決定のお知らせ ベガルタ仙台公式サイト 2013.2.24付ニュースリリース
- ^ 角田誠選手加入のお知らせ 川崎フロンターレオフィシャルサイト (2014年12月19日閲覧)
- ^ 角田誠選手(川崎フロンターレ)期限付き移籍にて加入決定のお知らせ (2015年8月1日閲覧)
- ^ 『J1リーグ第4節 鹿島戦における角田誠選手の挑発行為に関して』(プレスリリース)清水エスパルス、2017年3月19日 。2017年3月19日閲覧。
- ^ 角田誠選手に対する処分について 清水エスパルス公式サイト 2017.3.21付ニュースリリース
- ^ 『角田 誠選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2018年12月10日 。2018年12月10日閲覧。
- ^ 大竹 洋平選手、角田 誠選手 完全移籍加入のお知らせ, V・ファーレン長崎, (2018-12-19) 2018年12月19日閲覧。
- ^ 角田 誠選手 契約満了のお知らせ, V・ファーレン長崎, (2020-12-21) 2021年1月9日閲覧。
- ^ 『角田 誠選手 ポルベニル飛鳥加入のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2021年2月2日 。2021年2月2日閲覧。
- ^ “角田誠 選手兼コーチ 退団のお知らせ”. NPO法人 ポルベニルカシハラスポーツクラブ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ 『角田誠氏 アシスタントコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2022年1月5日 。2022年1月5日閲覧。
- ^ 『ベガルタ仙台アカデミー 角田誠コーチ レイラック滋賀FC 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2024年7月31日 。2024年7月31日閲覧。