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落部駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
落部駅
駅舎(2018年6月)
おとしべ
Otoshibe
H58 石倉 (4.0 km)
(5.3 km) 野田生 H56
地図
所在地 北海道二海郡八雲町落部
北緯42度11分15.7秒 東経140度25分17.0秒 / 北緯42.187694度 東経140.421389度 / 42.187694; 140.421389座標: 北緯42度11分15.7秒 東経140度25分17.0秒 / 北緯42.187694度 東経140.421389度 / 42.187694; 140.421389
駅番号 H57
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 函館本線
キロ程 66.1 km(函館起点)
電報略号 オヘ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線[1]
乗降人員
-統計年度-
62人/日
-2015年-
開業年月日 1911年明治44年)8月5日
備考 無人駅
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落部駅(おとしべえき)は、北海道二海郡八雲町落部に所在する北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線である。駅番号H57電報略号オヘ事務管理コードは▲140119[2]

歴史

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1976年の落部駅と周囲約1km範囲。右が函館方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1903年(明治36年)に北海道鉄道によって森駅 - 熱郛駅間が開業した際、落部村(当時)の付近では茅部(石倉)・落部・野田追(野田生)に駅を設置する予定であったが[3]、当時の落部村では、「従来落部は宿場であり、旅人宿・飲食店・その他の商業は、宿場であるがゆえに反映したのであって、停車場が開設されることによって旅行者は村を素通りし、そのために村の繁栄が損われる[3]」として駅設置に反対したとされるため、当駅は設置されなかった[3]

その後、1907年(明治40年)に宮内省御料局が落部御料林の輪伐、官有地300町歩解放を発表すると、輪伐材搬出と解放地への入植に伴う生産物・物資の輸送のため、当駅設置の請願運動がなされ、当駅が設置されることとなった[3]

年表

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  • 1911年明治44年)8月5日国有鉄道函館本線の駅として開業(一般駅[4]。当時は2023年現在の国道5号のルートが線路用地であり、駅も2023年現在の地から少し離れた位置(現駅より200m海側)に設置された[3]
  • 1945年昭和20年)
    • 7月20日:当駅を含む石倉駅 - 野田追駅(現:野田生駅)間が複線化されるが、当駅前後は上り線のみ新線に移行[5][3][6]
      • 当駅前後の旧線は現在の国道5号のルートに準じており[注 1]、石倉駅を出て現在の八雲町栄浜地区付近から、最大16‰の急勾配で段丘上に駆け上がり、現在線(第1・2落部トンネルで通過)を越えて海側に出て一旦落部市街に下ったあと、再び段丘と共に現在線を越えて山手に入り、野田追川を渡る手前(2023年現在の八雲町東野地区)で築堤で降りてきて現在線と合流する、という線形であり[7]、戦時中の輸送力増強の一環としてこれを最急勾配6‰に緩和し、加えて複線化するべく1942年(昭和17年)から複線新線への移行が進められていた[8]
      • 新線は複線で路盤・トンネルがほぼ完成していたものの、当駅 - 野田追駅間の第3落部トンネルのみが単線トンネル2本で複線とするところ片方のみ完成していたことから、暫定的に上り線のみが移転して上下列車を分離し複線化した[7][8]
      • しかし、最小曲線半径と前後の取り付けの都合、落部駅は200mほど山側に移転することになっていたため、この上り線のみの移行により2023年現在の国道5号の位置にあった旧線(下り線として継続使用)と上り線の乗降場位置が約200m離れることとなり、一時は駅助役を6・7名配置した[3][8][7]。しかし、複線化が同年8月15日の終戦とその後の混乱により中断してしまい、しばらくこの状態が続いた[3]
    • 10月:駅舎を2023年現在の地に移転[3]
  • 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)が継承。
  • 1958年(昭和33年)12月10日:次のように変更[3][5][7]
    • 石倉駅 - 当駅間の新線を複線化し、暫定下り線(旧線)を廃止。
    • 併せて当駅下り線ホームを現在地に移転・統合。上りホーム待合室を増築。
    • 当駅 - 野田追駅間は暫定下り線(旧線)の使用を終了し、暫定上り線(新線)のみを利用した単線とする。
  • 1968年(昭和43年)9月21日:当駅 - 野田生駅(1959年〔昭和34年〕現名に改称)間を再び複線化[5][3]
  • 1980年(昭和55年)5月1日:貨物扱い廃止[9][3]
  • 1982年(昭和57年)11月15日急行せたな」の停車駅となる。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:急行「せたな」の快速化により優等列車の停車がなくなる。荷物扱い廃止[9]
  • 1986年(昭和61年)11月1日:無人化[9]簡易委託駅となる。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1991年平成3年)12月:駅舎改築[9]
  • 2007年(平成19年)10月1日駅ナンバリングを実施[10]
  • 2019年令和元年)10月1日:簡易委託廃止。完全無人化。

駅名の由来

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所在地名(旧落部村)から。地名はアイヌ語の「オテㇱペッ(o-tes-pet)」(川尻・・川)や[11]、「オテㇱウンペッ(o-tes-un-pet)」(川尻・梁・ある・川)[4][11]、あるいは「オテㇱウンペ(o-tes-un-pe)」(川尻・梁・ある・処)などの[11]、「テㇱ(tes:梁)」があったことから名付けられた地名に由来するとされ[11][12][13]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』ではアイヌによるサケ漁地であった、と紹介している[4]

駅構造

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カーブを描いた島式・相対式複合ホーム2面3線を持つ地上駅である[1]。ホーム同士は、中央の構内踏切で結ばれている。3番線は貨物列車の待避に使われる。

2019年(令和元年)9月30日までは簡易委託駅で、受託者が乗車券総販券(金額表示式))を発売していた。八雲駅管理の無人駅である。駅舎木造である。

のりば

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番線 路線 方向 行先
1 函館本線 上り 函館方面
2 下り 長万部方面
3 (待避線)

利用状況

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乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

乗車人員推移
年度 乗車人員(人) 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1978年(昭和53年) 70,231 (192.4) [14][3]
2017年(平成29年) 32.6 [15]
2018年(平成30年) 28.2 [16]

駅周辺

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隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
函館本線
石倉駅 (H58) - 落部駅 (H57) - 野田生駅 (H56)

脚注

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注釈

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  1. ^ もともと2023年現在の国道5号よりもさらに山手を急勾配で越えていたため、1913年(大正2年)10月に2023年現在の国道5号の位置に新線を設け、若干ながら勾配を緩和していたが、抜本的な解決に至らなかった。

出典

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  1. ^ a b 『週刊 JR全駅・全車両基地』 11号 函館駅・大沼公園駅・倶知安駅ほか72駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年10月21日、22頁。 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、214頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 八雲町史編さん委員会 編『改訂 八雲町史』 下、八雲町役場、1984年6月20日、48-60, 763頁。doi:10.11501/9571214https://dl.ndl.go.jp/pid/95712142023年7月13日閲覧 
  4. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、9頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ a b c 北海道鉄道百年史 下巻、P57 及び巻末年表。
  6. ^ 札幌工事局70年史 P182。
  7. ^ a b c d 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩く』 8巻(1版)、JTB、2001年8月1日、77-79, 223頁。 
  8. ^ a b c 鉄道技術発達史 第2篇(施設)1日本国有鉄道、1959年1月、383頁。doi:10.11501/2423735https://dl.ndl.go.jp/pid/2423735/1/566 
  9. ^ a b c d 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行
  10. ^ 駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20070930015220/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2007/070912-3.pdf2014年9月6日閲覧 
  11. ^ a b c d 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 419. ISBN 978-4-88323-114-0 
  12. ^ アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月20日閲覧。
  13. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、4頁。NDLJP:1029473 
  14. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、806頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  15. ^ 函館線 函館・長万部間の状況について” (PDF). 函館線(函館・小樽間)について(北海道新幹線並行在来線対策協議会). [第6回ブロック会議(令和元年7月~8月)]. 北海道. pp. 4・5 (2019年8月2日). 2021年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月4日閲覧。
  16. ^ 函館線 函館・長万部間の状況について” (PDF). 函館線(函館・小樽間)について(北海道新幹線並行在来線対策協議会). [第7回ブロック会議(令和2年8月)]. 北海道. pp. 4・5 (2020年8月25日). 2021年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月4日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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