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萩原多賀彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
萩原 多賀彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県伊東市
生年月日 (1975-09-09) 1975年9月9日(49歳)
身長
体重
182 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト6巡目
初出場 2002年5月19日
最終出場 2002年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

萩原 多賀彦(はぎわら たかひこ、1975年9月9日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴

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専修大学では黒田博樹の1年後輩、同期に安藤正則がいた。3年春から1部リーグ昇格も4年秋は登板なく、1部リーグ通算14試合に登板、4勝3敗、防御率3.84。社会人・JR東日本では救援投手として2001年東京スポニチ大会優勝を経験、同年の都市対抗野球でも救援で登板した。ドラフト会議にてヤクルトスワローズから6巡目で指名を受け、同僚の五十嵐貴章とともに入団。既に妻子がおり、いわゆる「子連れルーキー」となった。

2002年、即戦力投手として期待されたルーキーイヤーのこの年から先発登板の機会も与えられたが、結果を残すことができなかった。

右ひじ手術などの影響もあって2003年からは2005年の3年間で一軍登板がなく、球団から戦力外通告を受け引退。親会社のヤクルト本社に入社した。 その後は少年野球指導などをしながらスポーツビジネスに関わっている[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2002 ヤクルト 8 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 63 14.1 20 2 1 0 0 12 1 0 10 8 5.02 1.47
通算:1年 8 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 63 14.1 20 2 1 0 0 12 1 0 10 8 5.02 1.47

記録

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背番号

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  • 14 (2002年 - 2004年)
  • 46 (2005年)

脚注

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関連項目

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