萩原多賀彦
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県伊東市 |
生年月日 | 1975年9月9日(49歳) |
身長 体重 |
182 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト6巡目 |
初出場 | 2002年5月19日 |
最終出場 | 2002年7月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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萩原 多賀彦(はぎわら たかひこ、1975年9月9日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴
[編集]専修大学では黒田博樹の1年後輩、同期に安藤正則がいた。3年春から1部リーグ昇格も4年秋は登板なく、1部リーグ通算14試合に登板、4勝3敗、防御率3.84。社会人・JR東日本では救援投手として2001年の東京スポニチ大会優勝を経験、同年の都市対抗野球でも救援で登板した。ドラフト会議にてヤクルトスワローズから6巡目で指名を受け、同僚の五十嵐貴章とともに入団。既に妻子がおり、いわゆる「子連れルーキー」となった。
2002年、即戦力投手として期待されたルーキーイヤーのこの年から先発登板の機会も与えられたが、結果を残すことができなかった。
右ひじ手術などの影響もあって2003年からは2005年の3年間で一軍登板がなく、球団から戦力外通告を受け引退。親会社のヤクルト本社に入社した。 その後は少年野球指導などをしながらスポーツビジネスに関わっている[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2002 | ヤクルト | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 63 | 14.1 | 20 | 2 | 1 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 10 | 8 | 5.02 | 1.47 |
通算:1年 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 63 | 14.1 | 20 | 2 | 1 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 10 | 8 | 5.02 | 1.47 |
記録
[編集]- 初登板:2002年5月19日、対広島東洋カープ9回戦(岩手県営野球場)、4回裏に2番手で救援登板、2回2失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、4回裏にエディ・ディアスから空振り三振
- 初先発:2002年5月25日、対横浜ベイスターズ7回戦(明治神宮野球場)、6回5失点(自責点3)で敗戦投手
背番号
[編集]- 14 (2002年 - 2004年)
- 46 (2005年)