粟屋敏信
表示
粟屋 敏信 あわや としのぶ | |
---|---|
生年月日 | 1926年7月25日 |
出生地 | 広島県 |
没年月日 | 2016年9月4日(90歳没) |
前職 | 国家公務員(建設省) |
所属政党 |
(自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (太陽党→) (民政党→) 無所属の会 |
称号 | 旭日重光章 |
選挙区 |
(旧広島1区→) 広島2区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1986年7月6日 - 2003年10月10日 |
粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年7月25日 - 2016年9月4日)は、日本の政治家。位階は従三位。建設官僚。元衆議院議員 (5期)。
来歴
[編集]広島県出身。旧制広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校、東京大学法学部卒業後、旧建設省に入省し、建設事務次官等を歴任。
退官後の1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙では、灘尾弘吉の地盤を継承し旧広島1区から自由民主党公認で出馬したが落選。1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で初当選。以後5期連続当選。
第40回衆議院議員総選挙は新生党、第41回衆議院議員総選挙は新進党、その後、太陽党、民政党を経て、第42回衆議院議員総選挙は無所属の会から出馬し当選(広島2区)。
衆議院地方行政委員長等を歴任し、2003年(平成15年)に政界を引退。
北九州マツダの常務や広島国際大学の教授等を歴任した末田紘は又従兄の長男にあたる[1]。
2016年9月4日午前10時39分、老衰のため、東京都内の病院で死去、90歳没[2]。
2004年、旭日重光章受章[3]。没後従三位に叙された[4]。
参考文献
[編集]- 交詢社 監修、交詢社出版局 編集 『日本紳士録 第80版 2』 ぎょうせい、2007年(平成19年)4月3日発行、ISBN 978-4-324-07879-2
脚注・出典
[編集]- ^ 『日本紳士録 第80版 2』、す 245頁。
- ^ 元衆院議員の粟屋敏信氏死去 - 時事ドットコム 2016年9月5日
- ^ 『官報』号外第241号、平成16年11月4日
- ^ 故粟屋敏信元衆院議員に従三位 - 時事ドットコム 2016年9月30日
議会 | ||
---|---|---|
先代 中馬弘毅 |
衆議院地方行政委員長 1993年 - 1995年 |
次代 川崎二郎 |
党職 | ||
先代 結党 |
太陽党政務調査会長 初代:1996年 - 1998年 |
次代 民政党に合流 |