第百十七号駆潜特務艇
表示
艦歴 | |
---|---|
建造所 | タンジョン・プリオク船渠 |
起工 | |
進水 | 1938年 |
竣工 | 1942年捕獲 9月1日艦籍編入 |
喪失 | 1945年7月23日戦没 |
除籍 | |
要目(整備完成時) | |
排水量 | 基準:131トン |
全長 | 水線長:31.60m |
全幅 | 水線幅:5.50m |
吃水 | 1.80m |
機関 | ディーゼル機関1基、1軸、320馬力 |
速力 | 12.0ノット |
航続距離 | |
燃料搭載量 | |
乗員 | |
兵装 | 短5cm砲1門 25mm単装機銃1挺 13mm単装機銃1艇 爆雷12個 |
第百十七号駆潜特務艇[1](だいひゃくじゅうななごうくせんとくむてい)は、日本海軍の駆潜特務艇。旧オランダ海軍沿岸用掃海艇「バンタム(Bantam)」。1942年捕獲、1945年戦没。
艦歴
[編集]旧オランダ海軍沿岸用掃海艇アロール(Alor)級の2番艇「バンタム(Bantam)」。日本軍の侵攻によりタンジョン・プリオクで同型艇7隻と共に自沈した。1942年3月2日に捕獲、同型艇の中で1隻だけ整備され、翌1943年8月10日に整備完成、同年9月1日に艦籍に編入された。
編入後は沿岸用掃海艇としては100トンを越える大型艇であったため、船団護衛などに従事したようである[2]。終戦直前となる1945年7月23日にバリ島の東南東でアメリカ海軍潜水艦「ハードヘッド」の雷撃を受けて沈没した。
参考文献
[編集]- 「世界の艦船 増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史」海人社、1996年2月号増刊、第507集
脚注
[編集]- ^ 昭和18年9月1日付 海軍 達第205号。「昭和18年9月~12月 達(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070119700
- ^ 「世界の艦船 日本海軍護衛艦艇史」p130。
関連項目
[編集]