神田乃武
誕生 |
1857年3月22日(安政4年2月27日) 武蔵国江戸築地小田原町(現・東京都中央区) |
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死没 | 1923年12月30日(66歳没) |
墓地 | 多磨霊園(東京都府中市・小金井市) |
職業 | 教育者、英学者 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | アマースト大学 |
配偶者 | 熊千代(高木秀臣長女) |
子供 | 金樹(長男)、英芝(長女・河津暹妻)、高木八尺(次男)、百合(次女・高木兼二妻)、十拳(三男)、盾夫(四男)、孝(三女・豊川順弥妻)、文子(四女・松本兼二郎妻) |
親族 | 孝平(養父)、松井永世(実父)、松井銀子(実妹・平岩愃保夫人) |
神田 乃武 | |
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所属政党 | 研究会 |
選挙区 | (男爵議員) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1910年5月14日 - 1923年12月30日 |
神田 乃武(かんだ ないぶ、1857年3月22日(安政4年2月27日[1]) - 1923年(大正12年)12月30日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の教育者、英学者。東京商科大学名誉教授[2]。男爵。
前半生
[編集]※ 特記ない限り、本節の出典は、大場高志「【報告】神田乃武文庫について」(一橋大学附属図書館研究開発室年報、第2号、2014年、PDF)。
安政4年(1857年)、能楽師・松井永世の次男として江戸・築地小田原町に出生(幼名は信次郎)。慶応3年(1867年)、後に男爵となる神田孝平の養嗣子となった。
明治4年(1871年)にアメリカに渡航してアマーストハイスクールでアメリカの中等教育を受け、明治8年(1875年)にマサチューセッツ州のアマースト大学に進学した。明治12年(1879年)にアマースト大学を卒業して学士号(B.A.)を授与され、同年に帰国した。
明治13年(1880年)、大学予備門(のちの第一高等学校)に奉職し、英語と歴史を講じた。明治14年(1881年)より東京大学にも出講した。明治17年(1884年)に高木熊千代と結婚した。
明治19年(1886年)、大学予備門が第一高等中学校に改組されると同校教諭に就任した(明治22年まで在職)。同じく明治19年、帝国大学文科大学(現:東京大学文学部)が発足すると同学教授に就任し、ラテン語とギリシャ語を講じた(明治26年まで在職。明治26年から明治33年まで帝国大学文科大学講師)。明治21年(1888年)、母校たるアマースト大学から修士号(M.A.)を授与された。
高等商業学校教授となる
[編集]※ 特記ない限り、本節の出典は、大場高志「【報告】神田乃武文庫について」(一橋大学附属図書館研究開発室年報、第2号、2014年、PDF)。
明治26年(1893年)9月、帝国大学文科大学教授であった満36歳の神田は、高等商業学校(明治35年に東京高等商業学校〈東京高商〉、大正9年に東京商科大学〈東京商大〉、現:一橋大学)教授に転じ、大正5年(1916年)に依願退官するまで在職した[3]。
明治30年(1897年)、高等商業学校附属外国語学校(明治32年に東京外国語学校、現:東京外国語大学)教授を兼ねた(明治33年まで)。明治31年(1898年)7月19日、養父・神田孝平の死去により男爵を襲爵[4]。明治32年(1899年)、東京外国語学校校長(初代)を兼ねた(明治33年まで)[5]。
明治33年(1900年)、イギリスおよびドイツに1年間留学。留学中の明治34年(1901年)には、石川巌・石川文吾・瀧本美夫・津村秀松・福田徳三・志田鉀太郎・関一など、欧州に留学していた高等商業学校の若手の教授たちと共に、ベルリンにおいて「商業大学の必要」を建議し、高等商業学校の大学昇格運動を開始した[6]。
明治35年(1902年)、学習院教授を兼ねた(明治44年まで)。明治43年(1910年)、貴族院男爵議員。
大正5年(1916年)1月15日、満58歳で東京高等商業学校教授を依願退官し、東京高等商業学校名誉教授。退官後、直ちに東京高商講師を嘱託された神田は、大正12年の死去に至るまで東京高商・東京商大で教鞭を執り続けた[3]。
大正9年(1920年)、東京高商の大学昇格が実現して東京商科大学が発足すると同時に、東京商科大学名誉教授(東京商大の名誉教授第一号)。大正10年(1921年)、欧米を外遊した際に母校たるアマースト大学を訪問し、法学博士号(LL.D.)を授与された。
最晩年まで東京商大の教壇に立ち、退官後に欧米に複数回赴くなど、衰えを見せなかった神田であるが、大正12年(1923年)12月30日、癌と気管支炎により死去した。満66歳没。神田が愛した東京商大は、大学葬を挙行して神田の労に報いた。
人物像
[編集]生涯に渡って英語教育に力を尽くし、その編纂する辞書や中学校英語教科書は広く使われた。
神田と交流があった大山捨松は、明治16年(1883年)に書いた手紙の中で「神田乃武は、津田梅子の次に英語が堪能な日本人である」という旨を述べている[7]。大山と津田は、共に日本最初の女子留学生として少女時代に11年間アメリカに留学し、母語話者レベルの英語力を有していた。
アマースト大学に在学していた明治11年(1878年)に洗礼を受け、クリスチャンとなった[2]。
明治22年(1889年)、外山正一・元良勇次郎と共に、芝に正則予備校(現在の正則高等学校)を設立。日本キリスト教青年会(YMCA)の創立に協力、ローマ字運動を起こし、速記術を広めるなど功績は多岐にわたる。
アメリカ学者の高木八尺は実子、言語学・聖書学者の神田盾夫は四男。大山捨松、津田梅子との交流があった。
栄典
[編集]- 位階
- 1902年(明治35年)10月31日 - 正五位[8]
- 1907年(明治40年)11月11日 - 従四位[9]
- 1913年(大正2年)1月30日 - 正四位[10]
- 1916年(大正5年)1月31日 - 従三位[11]
- 1923年(大正12年)12月30日 - 正三位[12]
- 勲章等
著作
[編集]- 『数学教授本 巻二』 求故堂、1870年
- 『ユニオン第四読本註解 附英語発音法』 (Notes of Sanders' union fourth reader, and English pronunciation) 内田老鶴圃、1891年10月
- 『ロングマンス第四読本注解 附英語綴字法』 (Notes of Longmans' fourth reader, and English spelling) 内田老鶴圃、1892年2月
- 『和文英訳教科書説明書』 (Key to Kanda's how to translate Japanese into English) 三省堂書店、1901年1月
- 『英語読本説明書 附英語発音説明』 三省堂書店、1901年1月
- 『己往八ケ月に於ける 神田改正英語読本授業の経験』 三省堂書店、1904年2月
- 『淡崖遺稿』 神田乃武、1910年7月
- 『神田孝平略伝』 神田乃武、1910年7月
- 『MEMORIALS OF NAIBU KANDA : 神田乃武先生追憶及遺稿』 神田記念事業委員会編、刀江書院、1927年7月
- 『MEMORIALS OF NAIBU KANDA : 神田乃武先生追憶及遺稿』 神田記念事業委員会編、大空社〈伝記叢書〉、1996年7月、ISBN 4872365135
- 訳書
- 辞書
- 『和英袖珍 新字彙』 (A pocket Japanese-English dictionary) イーストレーキ共著、三省堂書店、1891年5月
- 『新訳 英和辞典』 横井時敬ほか共編、三省堂書店、1902年6月
- 『英和双解 熟語大辞典』 (A dictionary of English phrases) 南日恒太郎共編、有朋堂書店、1909年12月
- 『英和双解 熟語大辞典』 南日恒太郎共編、ゆまに書房〈近代英学特殊辞書集成〉、1998年10月、ISBN 4897145686
- 『模範英和辞典』 (Sanseido's English-Japanese dictionary) 樫田亀一郎ほか共編、三省堂書店、1911年4月
- 『模範新英和大辞典』 (The new standard English-Japanese dictionary) 横井時敬ほか共編、三省堂、1919年3月
- 『袖珍 英和辞典』 (Sanseido's vest-pocket English-Japanese dictionary) 金沢久共編、三省堂、1917年11月 / 1920年9月改訂版
- 『袖珍コンサイス英和辞典 万国音標文字附』 (Sanseido's concise English-Japanese dictionary) 金沢久共編、三省堂、1922年8月 / 2001年4月復刻版、ISBN 4385101043
- 『袖珍 和英辞典』 (Sanseido's vest-pocket Japanese-English dictionary) 石川林四郎共編、三省堂、1919年10月
- 教科書
- English grammar for middle schools. 三省堂書店、1899年
- 前掲 『英語教育史資料 第3巻 英語教科書の変遷』 - 抄録
- How to translate Japanese into English (和文英訳教科書). 三省堂書店、1899年4月
- 前掲 『英語教育史資料 第3巻 英語教科書の変遷』 - 抄録
- Kanda's new series of English readers. 三省堂書店、1899年4月-1900年11月
- Intermediate English grammar (中文典). 三省堂書店、1899年11月
- Higher English grammar (大文典). 三省堂書店、1900年2月
- English grammar for beginners (小文典). 三省堂書店、1900年2月
- Kanda's English readers for primary schools (小学英語読本). 三省堂書店、1900年12月
- Kanda's new scientific copy books (英習字). ガントレット共著、三省堂書店、1901年1月
- Kanda's supplementary reader. 三省堂書店、1901年3月
- A text-book of English commercial composition (英語商業作文教科書). 花輪虎太郎共著、啓成社、1903年10月
- First book of English composition (英作文第一). 三省堂書店、1905年11月
- Second book of English composition (英作文第二). 三省堂書店、1905年11月
- Kanda's new English readers : fourth year cource (四年用中学英語読本). 三省堂書店、1906年12月
- Kanda's new English readers : fifth year cource (五年用中学英語読本). 三省堂書店、1906年12月
- Kanda's English grammar : middle school course (神田英文典). 三省堂書店、1909年11月
- Kanda's new English grammar. 三省堂、1920年10月
- Kanda's standard readers (模範英語読本). 三省堂書店、1911年11月
- Kanda's new standard readers (改訂模範英語読本). 三省堂、1916年10月
- Modern English readers for middle and commercial schools (近世英語読本). 三省堂書店、1911年12月
- Kanda's spoken English for beginners. 三省堂書店、1914年12月
- Kanda's crown readers. 三省堂、1916年10月 / 大空社〈英語教科書名著選集〉、1993年1月復刻、ISBN 4872362373 4872362373
- New crown readers. 三省堂、1922年10月
- 前掲 『英語教育史資料 第3巻 英語教科書の変遷』 - Kanda's crown readers. の抄録
- Girls' crown readers. 三省堂、1917年10月
- Girls' new crown readers. 長岡擴校訂、三省堂、1924年10月
- A senior English grammar. 長岡擴共編、三省堂、1917年10月
- A junior English grammar. 長岡擴共編、三省堂、1917年10月
- A modern English composition. 長岡擴共編、三省堂、1917年10月
- Kanda's crown English composition. 三省堂、1920年10月
- New crown English composition. 三省堂、1922年
- The king's crown English composition. 長岡擴校訂、三省堂、1926年
- The king's crown readers. 長岡擴校訂、三省堂、1926年8月
- The new king's crown readers. 三省堂編輯所校訂、三省堂、1930年9月 / 2001年4月復刻、ISBN 4385360316
- The queen's crown readers. 長岡擴校訂、三省堂、1927年9月
- The new queen's crown readers. 三省堂編輯所校訂、三省堂、1930年9月
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録』第4版では2月15日。
- ^ a b 大場高志(一橋大学総務部総務課) (2014). “【報告】神田乃武文庫について” (PDF). 一橋大学附属図書館研究開発室年報 (2) .
- ^ a b 坂野鉄也 (2017). “東京高等商業学校・商科大学における「グルント」:「座談会 一橋社会学の七十五年」(『一橋論叢』第24巻第5号(1950年11月)所収)を読む” (PDF). 滋賀大学経済学部 Working Paper Series (271) .
- ^ 『官報』第4516号、明治31年7月20日。
- ^ “東京外國語学校・東京外事専門学校 初代校長 神田乃武 Naibu Kanda”. 東京外国語大学. 2022年4月19日閲覧。
- ^ 尾原宏之. “「反東大」の思想史 第18回:「実用か、教養か」一橋大学の揺れるアイデンティティ”. 新潮社. 2022年4月19日閲覧。
- ^ 古川 2022b, 第1章 アメリカに渡った少女:脚注38。
- ^ 『官報』第5800号「叙任及辞令」1902年11月1日。
- ^ 『官報』第7313号「叙任及辞令」1907年11月12日。
- ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
- ^ 『官報』第1048号「叙任及辞令」1916年2月1日。
- ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。
- ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ 『官報』第3410号「叙任及辞令」1924年1月08日。
関連文献
[編集]- 「従三位勲二等男爵神田乃武叙勲ノ件」(国立公文書館所蔵 「叙勲裁可書・大正十二年・叙勲巻四」)
- 『英語青年』第50巻第11号(神田乃武男追悼号)、1924年3月 / 第50巻第12号(Baron Kanda Number)、1924年3月
- 『一橋会報 故神田乃武先生追悼号』 東京商科大学一橋会、1924年7月
- 前掲 『MEMORIALS OF NAIBU KANDA : 神田乃武先生追憶及遺稿』
- 小沢明子 「神田乃武」(昭和女子大学近代文学研究室著 『近代文学研究叢書 第二十三巻』 昭和女子大学、1965年8月)
- 唐沢富太郎 「神田乃武 : わが国英文典の教育と教授法に貢献」(唐沢富太郎編著 『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 中巻』 ぎょうせい、1984年4月)
- 「神田長武(男爵)」(霞会館華族家系大成編輯委員会編纂 『平成新修 旧華族家系大成 上巻』 霞会館、1996年9月、ISBN 4642036709)
- 小田三千子 「神田乃武 : その生涯と異文化の受容のことなど」(『東北学院大学キリスト教文化研究所紀要』第27号、2009年5月、NAID 40016693469)
- 大場高志 「神田乃武文庫について」(『一橋大学附属図書館研究開発室年報』第2号、2014年4月、NAID 120005440297)
- 古川安『津田梅子:科学への道、大学の夢』(DMMブックス)東京大学出版会、2022b。
外部リンク
[編集]その他の役職 | ||
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先代 正則予備校長 元良勇次郎 |
私立正則中学校長 1899年 - 1923年 正則尋常中学校長 1892年 - 1899年 正則予備校長 1890年 - 1892年 |
次代 校長事務取扱 高木八尺 |
先代 土方久元 |
東京女学館長 1918年 - 1923年 |
次代 渋沢栄一 |
日本の爵位 | ||
先代 神田孝平 |
男爵 神田家第2代 1898年 - 1923年 |
次代 神田金樹 |
- 19世紀日本の教育者
- 20世紀日本の教育者
- 英語教育者
- 日本の雑誌編集者
- 19世紀日本の編集者
- 20世紀日本の編集者
- 日本の辞典編纂者
- 日本の英語学者
- 19世紀日本の言語学者
- 20世紀日本の言語学者
- 貴族院男爵議員
- 明治時代の貴族院議員
- 大正時代の貴族院議員
- 在職中に死去した日本の貴族院議員
- 一橋大学学長
- 一橋大学の教員
- 日本の中等教育の教員
- 学習院大学の教員
- 東京外国語大学学長
- 東京外国語大学の教員
- 東京大学の教員
- 東京地学協会の人物
- YMCAの人物
- 日本のプロテスタントの信者
- 正三位受位者
- 勲一等瑞宝章受章者
- 旭日重光章受章者
- 勲五等瑞宝章受章者
- 神田家
- アマースト大学出身の人物
- 武蔵国の人物
- 東京都出身の人物
- 癌で亡くなった人物
- 1857年生
- 1923年没
- 多磨霊園に埋葬されている人物