白根熊三
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白根 熊三(しらね くまぞう、1876年(明治9年)1月2日 - 1939年(昭和14年)8月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
[編集]山口県出身。1897年(明治30年)、海軍兵学校(24期)卒業。同期は海軍大将・大角岑生、同・山本英輔。
年譜
[編集]- 1897年(明治30年) - 海軍兵学校(24期)卒業、海軍少尉候補生
- 須磨乗組[1]
- 1898年(明治31年)1月23日 - 秋津洲乗組[1]
- 朝日乗組[2]
- 1901年(明治34年)3月8日 - 横須賀海兵団付[2]
- 1907年(明治40年) - 海軍大学校甲種学生(6期)卒業後、海軍少佐に任官
- 1917年(大正6年) - 「千歳」艦長
- 1919年(大正8年) - 「比叡」艦長
- 1920年(大正9年) - 「石見」艦長
- 1921年(大正10年) - 海軍少将・第一艦隊参謀長・連合艦隊参謀長
- 1924年(大正13年) - 海軍省教育局長
- 1925年(大正14年) - 海軍兵学校校長
- 12月 - 海軍中将
- 1927年(昭和2年) - 予備役
- 1938年(昭和13年) - 後備役
- 1939年(昭和14年) - 死去
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1901年(明治34年)12月17日 - 正七位[3]
- 1906年(明治39年)11月30日 - 従六位[4]
- 1916年(大正5年)12月28日 - 従五位[5]
- 1925年(大正14年)12月28日 - 従四位[6]
- 1928年(昭和3年)1月23日 - 正四位[7][8]
- 勲章等
- 1905年(明治38年)11月30日 - 勲六等瑞宝章[9]
- 1915年(大正4年)11月7日 - 勲三等瑞宝章・大正三四年従軍記章[10]
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[11]
- 勲二等[8]
- 功五級[8]
その他
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『官報』第4367号「叙任及辞令」1898年1月26日。
- ^ a b 『官報』第5302号「叙任及辞令」1901年3月9日。
- ^ 『官報』第5539号「叙任及辞令」1901年12月18日。
- ^ 『官報』第7028号「叙任及辞令」1906年12月1日。
- ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1916年12月29日。
- ^ 『官報』第4045号「叙任及辞令」1926年2月20日。
- ^ 『官報』第328号「叙任及辞令」1928年2月3日。
- ^ a b c 『官報』第3801号「彙報 官吏卒去及死去」1939年9月5日。
- ^ 『官報』第6729号「叙任及辞令」1905年12月4日。
- ^ 『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
参考文献
[編集]- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。