潮喬平
表示
| ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手情報 | ||||||||||||||||||
フルネーム | うしお きょうへい | |||||||||||||||||
ラテン文字 | Kyohei Ushio | |||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
競技 | 陸上競技 (短距離走) | |||||||||||||||||
種目 | 100m, 200m | |||||||||||||||||
大学 | 中央大学 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1934年12月12日 | |||||||||||||||||
出身地 | 島根県益田市 | |||||||||||||||||
没年月日 | 2010年3月25日(75歳没) | |||||||||||||||||
身長 | 166cm (現役時代) | |||||||||||||||||
体重 | 61kg (現役時代) | |||||||||||||||||
成績 | ||||||||||||||||||
オリンピック |
100m 1次予選4組3着 (1956年) 200m 1次予選2組5着 (1956年) 4x100mR 準決勝2組6着 (1956年) | |||||||||||||||||
地域大会決勝 |
アジア大会 100m 2位 (1958年) 4x100mR 2位 (1958年) | |||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||
100m | 10秒5 (1956年, 1957年) | |||||||||||||||||
200m | 22秒0 (1957年, 1958年) | |||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
編集 |
潮 喬平(うしお きょうへい、1934年〈昭和9年〉12月12日 - 2010年〈平成22年〉3月25日)は、島根県益田市出身の陸上競技選手。専門は100mと200mの短距離走。1956年メルボルンオリンピック日本代表、1958年東京アジア大会の銀メダリストである。日本選手権の100mを1956年から3連覇した。
経歴
[編集]醸造元の次男として生まれる。
益田高校(現・益田翔陽)3年時の1952年(昭和27年)にインターハイの100mで11秒3の2位、200mで3位、4×200mリレーで4走を務めて5位、国体の19歳未満100mで11秒5の2位に入るなど活躍した。
大学は中央大学に進学し、4年時の1956年に日本インカレで3冠(100m、200m、4×100mリレー)を達成し、日本選手権100mも制した。メルボルンオリンピックには100mと200mと4×100mリレーに出場し、4×100mリレーで1走を務めて準決勝進出に貢献した。
実業団時代には、リッカーミシン所属の1958年に東京アジア大会の100mと4×100mリレー(1走)で銀メダルを獲得した。
現役引退後はプロ野球・日本ハムファイターズのトレーニングコーチ(1971年 - 1981年)などを務めた。
2010年(平成22年)3月25日、肺炎のため東京都板橋区の病院で死去[1]。75歳没。
主要大会成績
[編集]国際大会
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1956 | 第16回オリンピック | メルボルン | 100m | 1次予選 | 11秒0 (-2.0) |
200m | 1次予選 | 22秒4 | |||
4x100mR | 準決勝 | 41秒3 (1走) | |||
1958 | 第3回アジア大会 (en) | 東京 | 100m | 2位 | 11秒0 |
4x100mR | 2位 | 41秒4 (1走) | |||
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[2] |
日本選手権
[編集]- 6位以内の成績を収めた大会を記載
年 | 大会 | 種目 | 結果 | 記録 | |
---|---|---|---|---|---|
1954 | 第38回日本選手権 | 100m | 5位 | 10秒8 (+5.0) | |
200m | 5位 | 23秒8 (+5.0) | |||
1955 | 第39回日本選手権 | 200m | 5位 | ||
1956 | 第40回日本選手権 | 100m | 優勝 | 10秒8 | |
1957 | 第41回日本選手権 | 100m | 優勝 | 10秒9 | |
1958 | 第42回日本選手権 | 100m | 優勝 | 10秒9 | |
1961 | 第45回日本選手権 | 100m | 2位 | 11秒0 (-1.4) | |
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[3] |
日本ランキング
[編集]- 10位以内に入った記録を記載
年 | 種目 | ランク | 記録 | 所属 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1953 | 200m | 8位 | 22秒5 | 中央大学 | ||
1954 | 100m | 5位 | 10秒8 | 中央大学 | ||
1955 | 100m | 1位 | 10秒7 | 中央大学クラブ | ||
200m | 4位 | 22秒2 | ||||
1956 | 100m | 1位 | 10秒5 | 中央大学 | ||
200m | 7位 | 22秒2 | ||||
1957 | 100m | 2位 | 10秒5 | 門司鉄道管理局 | ||
200m | 4位 | 22秒0 | ||||
1958 | 100m | 1位 | 10秒6 | リッカーミシン | ||
200m | 5位 | 22秒0 | ||||
1959 | 100m | 9位 | 10秒8 | リッカーミシン | ||
1960 | 100m | 2位 | 10秒7 | リッカーミシン | ||
1961 | 100m | 4位 | 10秒7 | リッカーミシン | ||
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[4] |
脚注
[編集]- ^ “潮喬平氏死去 メルボルン五輪陸上代表”. 47NEWS (2010年3月26日). 2014年12月21日閲覧。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 国際競技会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、1061-1123頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 日本選手権大会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、869-946頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「年度別日本10傑」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、739-868頁。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 潮喬平 - Olympedia