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桑折宗臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
桑折宗臣
時代 江戸時代前期
生誕 寛永11年12月21日1635年2月8日
死没 貞享3年3月3日1686年3月26日
別名 通称:百助、親左衛門
墓所 愛媛県宇和島市等覚寺
主君 伊達宗利
伊予宇和島藩
氏族 宇和島伊達氏桑折氏
父母 伊達秀宗、山上氏
桑折宗頼
兄弟 伊達宗実伊達宗時伊達宗利、菊、萬、鶴松、宗臣伊達宗純、徳松、伊達宗職、竹松、松、岩松、清、伊達宗則
宍戸定清
おいぬ、お通、宗敷
頼邑
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桑折 宗臣(こおり むねしげ)は、江戸時代前期の伊予国宇和島藩家老・俳人歌人通称は百助、親左衛門。

略歴

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1634年(寛永11年)12月21日、宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の四男として誕生[1]

1640年寛永17年)城代家老桑折宗頼の養子となり、1652年承応元年)に家老職に就任する[1]1664年寛文4年)頃に家老職を義弟・宗邑に譲り、隠居する[1]俳諧北村季吟を師とし、本水や青松軒などの号を用いた[2]。文化人としての活躍が目立ち、多くの著書を残している。1686年(貞享3年)3月3日、53歳没[1]

墓所は、愛媛県宇和島市等覚寺[3]。辞世の句は「月の入る山のあなたは雲(はれて)心にかかるくまもなき(かな)」[2]

著書

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作法書

  • 『弊嚢集』
  • 『知新抄』

俳諧集

和歌集

  • 『宗臣君御自詠』

発句集

  • 『宇和島百人一句』
  • 『大海集』 - 伊予の俳人として初めて編纂刊行した[1]

俳諧連歌集

  • 『郭公千句』

日記

  • 『文宝日記』
  • 『青松軒之記』

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e 愛媛の偉人・賢人の紹介 桑折宗臣”. 愛知県生涯学習センター. 2020年11月閲覧。
  2. ^ a b c 市指定 桑折宗臣の墓 - 宇和島市ホームページ”. www.city.uwajima.ehime.jp. 2020年11月22日閲覧。
  3. ^ データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム”. www.i-manabi.jp. 2020年11月22日閲覧。