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杉戸清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉戸 清
すぎと きよし
1955年
生年月日 (1901-10-10) 1901年10月10日
出生地 愛知県愛知郡則武村字香箱(現名古屋市中村区[1]
没年月日 (2002-04-24) 2002年4月24日(100歳没)[2]
死没地 愛知県名古屋市昭和区[2]
出身校 東京帝国大学工学部土木工学科[2]
所属政党 無所属[2]
称号 勲二等瑞宝章[2]
従四位

第20-22代 名古屋市長
当選回数 3回
在任期間 1961年4月28日 - 1973年4月27日
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杉戸 清(すぎと きよし、1901年明治34年)10月10日[3] - 2002年平成14年)4月24日)は、日本政治家。元名古屋市長(3期)。

来歴

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愛知郡則武村字香箱(現・名古屋市中村区)出身[1]名古屋中学校第八高等学校を経て、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業[1][2]1926年大正15年)4月に名古屋市役所に入り[1]、水道局長、名古屋市助役などを歴任する[2]

1961年昭和36年)3月16日、名古屋市長小林橘川が任期中に死去。職務代理者を務める。同年4月28日に行われた市長選に自民党の推薦を受けて立候補。元参議院議員の栗山良夫社会党推薦)、元市議の横井亀吉(民社党推薦)らを破り初当選した[4][2]

名古屋市長として地下鉄の整備等に尽力した[2]

1973年(昭和48年)に4選を目指したが、社会党・共産党の推薦を受けた本山政雄に敗れた[2]。同年、勲二等瑞宝章を受章[2]

2002年平成14年)4月24日、老衰のため名古屋市昭和区の自宅で死去、100歳[2]。死没日をもって従五位から従四位に叙される[5]

著書

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  • 『下水道学 上』壮文社、1948年。ASIN B000JBMYSG 
  • 『下水道学 下』技報堂、1953年。ASIN B000JBAQY0 
  • 『厠談義』実業之日本社、1960年。ASIN B000JAPJ48 
  • 『なごやべん―杉戸清さんのおしゃべり』日進堂書店、1970年。ASIN B000J9JRAG 
  • 『20世紀を生きて―杉戸清先生の水道人気質 特別インタビュー構成』日本水道新聞社〈ウォーターマン叢書〉、1997年9月。ISBN 978-4930941176 

脚注

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  1. ^ a b c d 青木信樹 1970, p. 口絵.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l “名古屋の都市基盤整備 杉戸清元市長 死去 100歳”. 中日新聞: p. 1. (2002年4月25日) 
  3. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、238頁。
  4. ^ 『中部日本新聞』1961年4月9日付朝刊、尾張版、6面、「雨の中で舌戦開始 名古屋市長選初日の表情 中央から早くも来援」。
  5. ^ 『官報』第3370号7頁 平成14年5月29日号

参考文献

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