張羽
表示
張羽(ちょう う)は、前漢時代の武将である。生没年不明。梁に仕え、紀元前154年の呉楚七国の乱で大将軍(または将軍)となって活躍した。
事績
[編集]景帝前3年(紀元前154年)、呉楚七国の乱が勃発したとき、兄の張尚は楚の相であったが[1][2]、反乱に同意せず楚王劉戊に殺された[3][4]。景帝の弟の梁王劉武は兄の側につき、六人の将軍を送って呉軍と戦わせたが、二人が敗れて士卒が逃げかえった[1][2]。そこで張羽と韓安国を梁の大将軍(または将軍[5])に任命して守りを固めた[6][7]。張羽が力戦し、韓安国が防御に徹して守るうちに、漢軍に糧食を絶たれた呉・楚の軍は壊走した[8][9]。これにより張羽と韓安国の名が顕れた[8][9]。
その後の張羽については知られないが、若き日の鄭当時のおかげで苦境を脱したことがあったという[10]。武帝の即位前、つまり景帝後3年(紀元前141年)以前のようだが、仔細はわからない。
脚注
[編集]- ^ a b 『史記』巻106、呉王濞列伝第46。ちくま学芸文庫『史記』7の130頁。
- ^ a b 『漢書』巻35、荊燕呉伝第5、呉王濞。ちくま学芸文庫『漢書』4の168頁。
- ^ 『史記』巻50、楚元王世家第20、楚元王劉交。
- ^ 『漢書』巻36、楚元王伝第6。ちくま学芸文庫『漢書』4の180頁。
- ^ 『史記』は大将軍、『漢書』は将軍と記す。
- ^ 『史記』巻58、梁孝王世家第28。ちくま学芸文庫『史記』4の255頁。
- ^ 『漢書』巻47、文三王伝第17、梁孝王武。ちくま学芸文庫『漢書』4の520頁。
- ^ a b 『史記』巻108、韓長孺列伝第48。ちくま学芸文庫『史記』7の155頁。
- ^ a b 『漢書』巻52、竇田灌韓伝第22、韓安国。ちくま学芸文庫『漢書』5の155頁。
- ^ 『漢書』韓50、張馮汲鄭伝第20、鄭当時。ちく学芸文庫『漢書』5の74頁。