広根諸勝
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時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・摂津介 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 広根朝臣 |
父母 | 父:光仁天皇、母:県犬養勇耳 |
兄弟 |
能登内親王、開成、山部親王、 早良親王、薭田親王、酒人内親王、 他戸親王、弥努摩内親王、諸勝 |
広根 諸勝(ひろね の もろかつ)は、平安時代初期の皇族・貴族。姓は朝臣。光仁天皇の子[1][2][3]。官位は従五位上・摂津介。
経歴
[編集]延暦6年(787年)桓武天皇の皇子・岡成と共に臣籍降下し、諸勝は広根朝臣姓を与えられる。
大同5年(810年)9月の薬子の変発生に伴って行われた叙位任官にて従五位下・山城介に叙任されるが、10月には摂津介に転じる。弘仁5年(814年)嵯峨天皇が摂津国の交野と水生野(水無瀬野)に行幸して狩猟を行った際に、山城・摂津・河内国の国司が叙位を受けたが、この際に諸勝は従五位上に昇叙されている。
官歴
[編集]『六国史』による。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 西口, 圭介、別府, 洋二、池田, 征弘、大本, 朋弥、多賀, 茂治、青木, 哲也、株式会社加速器分析研究所、パリノ・サーヴェイ株式会社『広根遺跡』 492巻兵庫県神戸市中央区下山手通5丁目10番1号〈兵庫県文化財調査報告〉、2017年3月24日(原著2017年3月24日)。doi:10.24484/sitereports.20215。 NCID BB25306817 。
- ^ “第15話 広根の繁栄/猪名川町 - 猪名川町のホームページ”. 2023年11月5日閲覧。
- ^ 浅尾広良「女御・更衣と賜姓源氏」『中古文学』第81巻、中古文学会、2008年6月、1-18頁、CRID 1390282763115254784、doi:10.32152/chukobungaku.81.0_1、ISSN 02874636、NAID 130007651252、2023年11月7日閲覧。