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川原侃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川原 侃(かわはら すなお、1878年明治11年)11月16日[1][2] - 1953年昭和28年)11月28日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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鹿児島県出身[1][2][3]。川原甚左衛門の三男として生れる[1]。鹿児島第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1901年(明治34年)11月、陸軍士官学校(13期)を卒業[1][2][4]。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第45連隊付となる[1][4]。1904年(明治37年)6月から1906年(明治39年)3月まで日露戦争に出征した[1]

1906年5月、第6師団副官に就任[1]。歩兵第45連隊中隊長、陸軍歩兵学校教官を経て、1917年(大正6年)8月、歩兵少佐に昇進し歩兵第10連隊付となる[1]。1918年(大正7年)6月、独立守備隊副官に転じ、歩兵学校教官を経て、1922年(大正11年)8月、歩兵中佐に進級し独立守備隊歩兵第1大隊長に就任[1][3]。1925年(大正14年)7月、近衛師団司令部付(中央大学配属、配属将校)となる[1][3]

1926年(大正15年)3月、歩兵大佐に昇進[1][3]。1927年(昭和2年)5月、近衛歩兵第2連隊長に就任[1][3]豊橋陸軍教導学校長を経て、1931年(昭和6年)8月、陸軍少将に進級[1][2][3]。1932年(昭和7年)9月、歩兵第16旅団長となり満州事変に出動した[1][2][3]。1935年(昭和10年)3月に待命となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]

その後、1942年(昭和17年)3月、満州開拓団指導員訓練所長となった[1]

親族

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  • 長男 川原幸助(陸軍大尉)[1]
  • 弟 川原八郎(陸軍大佐)[1]

栄典

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勲章

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本陸海軍総合事典』第2版、50頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』238頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』182-183頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』175、182-183頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。