[go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

宇野 (玉野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 岡山県 > 玉野市 > 宇野
宇野
玉野市役所
玉野市役所
日本の旗 日本
都道府県 岡山県の旗 岡山県
市町村 玉野市
行政地区 宇野
人口
2013年平成25年)現在)
 • 合計 4,998人
郵便番号
706-0011
築港
宇野駅
宇野駅
日本の旗 日本
都道府県 岡山県の旗 岡山県
市町村 玉野市
行政地区 宇野
人口
2013年(平成25年)現在)
 • 合計 3,616人
郵便番号
706-0002

宇野(うの)は、岡山県玉野市にある町丁である。同市の市役所所在地。当頁では、当地より分立した町丁である築港(ちっこう)についても、歴史的経緯を考慮し合わせて記述する。

なお、築港分立後も両町丁を合わせて広域地名として宇野と称することもある。この範囲は、明治時代前期(町村制施行時)以前の児島郡宇野村に相当する。

郵便番号は、宇野が706-0011(玉野郵便局管区)、築港が706-0002(玉野郵便局管区)。人口は4998人(男性2370人、女性2628人)、築港が3616人(男性1823人、女性1793人)。世帯数は、宇野が2402世帯、築港が1871世帯(2013年6月現在)[1]

概要

[編集]

玉野市の中心的街区であり市役所付近から西北一帯の地域で、南は海に臨んでいる。現在、宇野駅のある付近を築港と呼んでいるが、元はこの方面をも含めて宇野と称した[2][要ページ番号]

宇野から築港にわたり宇野港があり、本州四国を結ぶ旅客港として賑わったが、1988年瀬戸大橋開通を機に地区の賑わいは徐々に衰退し、課題となっている。[要出典]

沿革

[編集]

歴史

[編集]

宇野はかつて児島郡宇野村と称し、中世には加茂庄に属していた。近世は岡山藩領で、『吉備温故』には宇野村、岡山京橋まで船路7里、陸路9里、舟着悪し、舟掛善し、田畑20町1反、うち1町3反は塩浜、家113軒、男女526人、池19ヶ所とある。江戸時代の字野村は、現在と異なり港湾設備に欠け、船着きは悪かった。一方、湾内は水深があり、船の碇泊にはよかった。なお当時は、児島郡の旅客港としては日比田之浦下津井八浜などが栄えていた。また、当時の産業としては漁業より農業が主で、入浜式塩田による製塩業が主なる収入源になっていた[2]

1889年明治22年)6月1日町村制の施行を受けて西隣の児島郡玉村(現在の玉原奥玉)と合併し、同郡玉野村を置いた。名称は、両地名より一文字ずつ取って合成したもの[2]

1906年(明治39年)4月1日、大字玉を分村。さらに東隣となる同郡田井村(現在の田井)と合併し、新たに同郡宇野村を設置[2]

同年8月、岡山県による宇野港の修築工事が始まり、3年の月日を費やして1909年(明治42年)8月に完成した。修築工事とされているが、実際は近代港湾の新規建設といえ、埋立地43,900坪、工費343,000円、他にも鉄道院嘱託埋立地9,400坪、工費129,000円などにおよぶ。当時の岡山県としては相当の大工事であり、当時の県知事桧垣直右は県議会の猛反対を押しのけ、3度の原案執行を行なった上での着工という歴史的事業となった[2]

1910年(明治43年)6月12日には岡山宇野間の国鉄(現JR西日本宇野線が開通した。宇野駅構内では盛大な開通式があげられ、宇野〜高松間の連絡船が就航した。本州と四国を結ぶ交通の要衝となり、新たなる転換期を迎えた宇野村は1919年(大正8年)1月1日に町制施行により宇野町となる[2]

1929年昭和4年)12月、宇野港は第2種重要港湾に指定され、1930年(昭和5年)2月8日には開港場に指定、神戸税関宇野支署が設けられた。1932年(昭和7年)5月23日には宇野と大連間に定期航路が設定され、「照国丸」が就航した[2]

1940年(昭和15年)8月3日、宇野と西側の同郡日比町が合併し玉野市を新設。宇野に市役所を置く。市名は、かつて両町にまたがって存在した前述の旧玉野村から取ったもの[2]

その後、宇野港は交通運輸の量的増力や船舶の大型化、速度化に伴い修築を重ねて現在の規模に発展し、それに合わせ市街も都市計画の進行、発展を遂げ、現在では宇野駅およびその駅前(北側)付近一帯(旧宇野の東部)を「築港」として新たに区分、宇野と築港それぞれ丁目設定した[2]

また、1949年(昭和24年)には宇野港から玉地区までを結ぶ備南電気鉄道(のちに玉野市へ運営移管され、玉野市営電気鉄道に改称)が開業するも、1972年(昭和47年)に廃線になる。

1988年(昭和63年)の瀬戸大橋の開通により大きな影響を受け、航路の存続が危ぶまれ、またこれに加えて玉野市内に工場を構える企業の不振などの影響も加わり、町の衰退が問題化している。[要出典]

年表

[編集]
宇野・築港地区の出来事
年月日 出来事 備考
1889年(明治22年)6月1日 町村制施行により、児島郡宇野村・玉村が合併し同郡玉野村を新設。
1906年(明治39年)4月1日 玉野村が旧宇野と旧玉に分村。同時に宇野と児島郡田井村合併し新たな宇野村を設置。 玉野村は消滅。玉は日比村と合併し、日比町となった。
1906年(明治39年)8月 岡山県宇野港修築工事が着工される。
1909年(明治42年)8月 宇野港修築工事が竣工。
1910年(明治43年)6月12日 国鉄宇野線および宇野駅が開業。宇野〜高松港間の連絡船が就航。
1919年(大正8年)1月1日 宇野村が町制施行、宇野町となる。
1929年(昭和4年)12月 宇野港が第2種重要港湾に指定される。
1930年(昭和5年)2月8日 宇野港が開港場に指定される。
1940年(昭和15年)8月3日 児島郡宇野町・日比町が合併し、玉野市を新設。宇野に役所が置かれる。
1949年(昭和24年)4月5日 備南電気鉄道が開業する。
1956年(昭和31年)4月1日 備南電気鉄道が玉野市へ運営が移管され、玉野市営電気鉄道として営業を開始。
1972年(昭和47年)4月1日 玉野市営電気鉄道が廃止となる。

地勢

[編集]
山岳
河川・池・滝

主要施設

[編集]

宇野

[編集]
公的施設
教育施設
医療・福祉施設
郵便局
金融機関
交通機関
  • 宇野港築港と跨がる。主要部は築港側)
    • 宇野港通船待合所
  • 玉港と跨がる。主要部は築港側)
一般企業・商店
公園施設
神社仏閣・その他宗教施設

築港

[編集]
公的施設
教育施設
医療・福祉施設
郵便局
金融機関
一般企業・商店
交通施設
公園施設など
神社仏閣・その他宗教施設

交通

[編集]
道路
鉄道
港湾

脚注

[編集]
  1. ^ 人口および世帯数について”. 玉野市. 2013年12月19日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ a b c d e f g h i 巌津 1974, p. [要ページ番号].

参考文献

[編集]
  • 巌津政右衛門『岡山地名事典』日本文教出版社、1974年。全国書誌番号:73004182 
  • 『岡山県道路地図』昭文社県別マップル 33〉、2013年。 

外部リンク

[編集]