地主神
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地主神(じぬしのかみ、ぢぬしのかみ)は、日本の宗教(特に神道)における神の一類型である。「とこぬしのかみ」「じぬしがみ(ぢぬしがみ)」「じしゅのかみ(ぢしゅのかみ)」とも読まれる。
概要
[編集]日本の神道などでは、土地ごとにそこを守護する地主神がいる、とされている。土地は神の姿の現れであり、どんな土地にも地主神がいる、とする説もある[1]。神社や寺院に祀られることが多く、その地主神は、その神社、寺院が建っている地域の地主神である。
古くは『古語拾遺』(9世紀成立)にあり、大地主神(おおとこぬしのかみ)が田を営むとある[2][3][4]。『延喜式』(10世紀成立)では、神祗五(神祗編第五巻)二十二条にて斎宮祈年祭に関して地主神の記述がある[3]ほか、同巻六十条にて記述がある[5]。
地主神への信仰の在り方は多様であり、荒神、田の神、客人神、屋敷神の性質がある地主神もいる。一族の祖先が地主神として信仰の対象になることもある。地主神を祀る(まつる)旧家からの分家に分祀されたり、屋敷の新設に伴い分祀されることもある[3]。御神体も多様で、自然石、石塔、祠(ほこら)、新しい藁束、御幣(ごへい)などがある[3]。祀る場所もまた多様で、神社、寺院のほか、丘や林の祠(ほこら)、屋敷、屋敷の裏山で祀り、一族の墓が神格化する地域もある[3]。
地主神の例
[編集]新しい土地の開発に際し、その土地古来の神に許可を得るためや、封じ込めるために、地主神は祀られた[3]。中世には、神社、寺院の建立の際、その土地古来の神を地主神としたり、鎮守社を新設して地主神とすることもあった[4]。
主な地主神
[編集]- 大国主神(おおくにぬしのかみ)
- 葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)の大地主神(おおとこぬしのかみ)とされている[1]。
- 興玉神(おきたまのかみ)
- 興玉神は『神名秘書』に登場する[4]。五十鈴川領域の地主神である[2]。五十鈴(いすず)の大宮處(おおみやどころ)の地主神であり、土ノ宮(はじのみや)の外宮(げぐう)の地主神である[1]。(土宮も参照)
- 興玉神はサルタヒコノカミ(猿田彦命)と同一という説がある[1]。
- サルタヒコノカミ(猿田彦命)
- サルタヒコノカミは国土保全と豊穣にゆかりがありまた、別名が大土御祖神(おおつちみおやのかみ)であることから、サルタヒコノカミが地主の神であるとする説が根強い。そのことから、サルタヒコノカミが、地主神の総名であるという伝えが生まれた。[1]
- 大織冠聖霊(藤原鎌足の霊)
- 奈良県の多武峯(とうのみね)の地主神[2]。『多武峯略記』にて「右當寺」の「藤門大祖」として「大織冠聖霊」は登場する[4]。奈良県の談山神社で祀られている[3]。
- 日吉神
- 比叡山の地主神[2]。
- 松浦山城守の霊
- 松浦山城守は地域豪族。愛媛県の北宇和郡津島町の地主大明神という社で祀られている[3]。他に、北宇和郡の御槇村の地主大明神で祀られている[6]。現在はどちらも合併で宇和島市津島町。
- 坂上田村麻呂
- 清水寺建立に関わったことにより、元は清水寺の鎮守社であった地主神社に祀られている[3]。
- 穴守大神
- 羽田浦(現羽田空港)開墾の際、堤防上に地主神として稲荷大神を祀ったのが起源。
地主神を祀る神社、寺院
[編集]様々な神社、寺院で、様々な地主神が祀られている。
- 榎本神社
- 小菅神社 (飯山市)
- 金峯神社 (吉野町)
- 高原熊野神社
- 戸隠神社
- 飛行神社
- 大泉寺 (高島市)
- 法明寺 (豊島区)
- 明王院境内
- 大處神社 - 大地主神(おおとこぬしのかみ)を祀る(まつる)。
- 和田神社 (神戸市) - 摂末社の宮比社(みやびしゃ)で大地主神を祀る。
その他
[編集]- 『古語拾遺』の記述として、「田を作る日に、牛肉を田人に食べさせた」とあり、肉食は否定していない。田作りに利用した動物を食べるという点は合鴨農法と同じであり、またウシの渡来自体は古墳時代以降とされる(「牛肉#歴史」参照)。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 矢部善三 著、千葉琢穂 編著『諸神 神名祭神辞典』展望社 1991年3月10日 ISBN 978-4885460043
- 『日本神名辞典』2版 神社新報社 1995年6月15日 ISBN 978-4915265662
- 國學院大學日本文化研究所 編集『縮刷版 神道事典』弘文堂 1999年5月15日 ISBN 978-4335160332
- 宮地直一、佐伯有義 監修『神道大事典(縮刷版)』臨川書店 1986年4月25日 ISBN 978-4653013471