吉田玉男 (初代)
しょだい よしだ たまお 初代 吉田 玉男 | |
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本名 |
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生年月日 | 1919年1月7日 |
没年月日 | 2006年9月24日(87歳没) |
出生地 | 日本・大阪府大阪市 |
死没地 | 日本・大阪府大阪市 |
職業 | 文楽人形師 |
ジャンル | 文楽 |
活動期間 | 1933年 - 2006年 |
初代 吉田 玉男(しょだい よしだ たまお、1919年1月7日 - 2006年9月24日)は、日本の文楽人形浄瑠璃の人形遣い、重要無形文化財保持者(人間国宝)。
来歴・人物
[編集]1919年(大正8年)大阪府大阪市に生まれる。本名・上田末一(うえだ すえいち)。1933年(昭和8年)吉田玉次郎に入門し、玉男と名乗る。立役(男役)。戦中二度出征。戦後『曽根崎心中』の徳兵衛役が当たり役となり、生涯で1136回務めた。抑制の効いた、理知的な動きの中に、秘めた情感や品良き色香を表現し、その技は最高峰と謳われた。
1966年(昭和41年)「源平引布滝」三段目瀬尾で大阪府民劇場奨励賞を受賞。さらに1977年(昭和52年)重要無形文化財保持者(人間国宝)認定、1978年(昭和53年)紫綬褒章受章[1]。
1989年(平成元年)勲四等旭日小綬章受章、1997年(平成9年)朝日賞受賞[2]、2000年(平成12年)文化功労者、2003年(平成15年)京都賞思想・芸術部門(映画・演劇分野)受賞[3]。
1995年(平成7年)に咽喉腫瘍を発症して手術し、2003年(平成15年)に病が再発した後は舞台休演が目立つようになり、2005年(平成17年)8月の国立文楽劇場(大阪市)公演を最後に舞台に立つことはなかったが、現役を引退することはなかった[4]。
2006年(平成18年)9月24日、肺炎のため大阪市内の病院で死去[4][5]。87歳没。墓所は大阪市天王寺区の浄土宗銀山寺に在所する[6]。
玉男の名は自らの弟子である吉田玉女が2015年に2代目を襲名した[7]。
出演
[編集]平成の中頃に、玉男の小学校時代の同級生の孫が『探偵!ナイトスクープ』に「人間国宝の頭を叩きたい」との投書依頼に応えて出演。
同級生(依頼者の祖父)と探偵が玉男を自宅に訪ね、再会を果たした時に、探偵が説明をする前に、小学校卒業以来、半世紀以上会っていない同級生の顔を見て「お!◎◎くんやん。久しぶり」と声を掛け、自宅に招き、依頼が成功したというエピソードがあった。
関連書籍
[編集]- 『文楽の男 吉田玉男の世界』山川静夫共著 淡交社 2002
- 『文楽吉田玉男』小川知子 撮影 演劇出版社 2003
- 『吉田玉男文楽藝話』日本芸術文化振興会 森西真弓聞き手 国立劇場上演資料集 2007
- 『人形有情 吉田玉男文楽芸談聞き書き』宮辻政夫聞き手 岩波書店 2008
参考資料
[編集]「第一〇四回=文楽公演 平成十八年十一月 国立文楽劇場」公演パンフレット(平成18年11月4日独立行政法人日本芸術文化振興会発行)
脚注
[編集]- ^ 吉田玉男『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1043 サン・データ・システム 1980年
- ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月18日閲覧。
- ^ 吉田玉男(Tamao Yoshida)(本名:上田末一) 京都賞 第19回(2003年)受賞者 稲盛財団公式サイト
- ^ a b 文楽人形遣いの吉田玉男さん死去 朝日新聞 2006年9月24日閲覧
- ^ 「吉田玉男さん死去/文楽人形遣いの人間国宝」『四国新聞』2006年9月24日。2021年10月27日閲覧。
- ^ “銀山寺”. 大阪観光局. 2020年7月25日閲覧。
- ^ “二代目吉田玉男さん襲名披露公演 人形浄瑠璃文楽”. 朝日新聞 (2015年4月4日). 2015年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月26日閲覧。