口羽元衡
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時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 慶長9年(1604年) |
死没 | 寛永12年12月2日(1636年1月9日) |
別名 | 通称:清吉→半右衛門尉 |
主君 | 毛利秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流口羽氏 |
父母 |
父:口羽元良、母:豊臣秀吉の侍女 養父:口羽元智(父・元良の弟) |
兄弟 |
女(志道元幸室)、元延、女(沓谷元綱室)、 女(椙杜就幸室)、元衡、女(口羽元智養女、井原就忠室)、女(財満元直室)、児玉就時 |
妻 |
正室:末兼続忠の娘 継室:井原元応の娘 |
子 | 就之、女(桂就将室) |
口羽 元衡(くちば もとひら)は、江戸時代初期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は口羽元良。叔父・口羽元智の養子となる。
生涯
[編集]慶長9年(1604年)に毛利氏家臣である口羽元良の次男として生まれ、嗣子のいない叔父・元智の養子となる。
慶長19年(1614年)3月5日に毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元衡」と名乗った。
寛永3年(1626年)4月10日に養父・元智が死去[1]したためその後を継ぐ。寛永4年(1627年)1月1日に毛利秀就から「半右衛門尉」の官途名を与えられ、同年2月17日に父・元智の所領である長門国美祢郡伊佐村329石と周防国玖珂郡久原村121石の合計450石の地を相続した。
寛永12年(1635年)12月2日に伊勢国桑名において32歳で病死。嫡男の就之が後を継いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻32「口羽衛士」
- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション