中川俊思
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中川 俊思 ながかわ しゅんじ | |
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生年月日 | 1903年1月20日 |
出生地 | 日本 広島県竹原市 |
没年月日 | 1973年11月30日(70歳没) |
出身校 | 中央大学 |
所属政党 |
(日本農民党→) (民主自由党→) (自由党→) (分党派自由党→) (自由党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
称号 | 法学士 |
親族 |
娘婿・中川秀直 孫・中川俊直 |
選挙区 | 広島県第2区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1953年4月20日 - 1972年11月13日 |
選挙区 | 広島県第2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1949年1月24日 - 1952年8月28日 |
中川 俊思(ながかわ しゅんじ、1903年(明治36年)1月20日[1] - 1973年(昭和48年)11月30日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。元衆議院議員中川秀直の義父[1]、前衆議院議員中川俊直の祖父。
来歴・人物
[編集]広島県賀茂郡荘野村(現竹原市[1])出身。堀川市助の三男に生まれ、禎助の養子となる[2]。
1923年(大正12年)中央大学法学部中退[1]。中国新聞や國民新聞の記者を経て[1]1949年の第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で広島2区から立候補し初当選[1]、通算8回当選[1](当選同期に池田勇人・佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。保守合同後は自民党に参加する。この間衆院商工、農林水産、決算各委員長、衆院海外同胞引揚および遺家族援護に関する特別委員長、厚生、通産各政務次官などを歴任した[1]。
趣味は読書、碁、ゴルフ。宗教は仏教。住所は東京都新宿区東五軒町、広島県豊田郡豊栄町[2]。
1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退。1973年11月30日死去。享年70。地盤は娘婿の中川秀直が引き継いだ。
1959年3月6日第31回国会商工委員会において、当時通商産業政務次官であった中川俊思は、突然歯痛のために国会に連絡をせずに銀座の歯科医院に行き、委員会を流会させたというエピソードを持つ[3]。
系譜
[編集]- 中川家
→詳細は「中川秀直」を参照
(佐藤) 佐藤胖━━━中川秀直 ┃ ┣━━━━━中川俊直 ┃ ┏佳津子 ┃ 中川俊思━╋女 ┃ ┗男
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『第十六版 人事興信録 下』1951年、な一一頁。
- 『第廿一版 人事興信録 下』1961年、な二二頁。
- 『政治家人名事典』編集・発行 - 日外アソシエーツ、1990年。
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 大石武一 |
衆議院決算委員長 1968年 - 1970年 |
次代 浜野清吾 |
先代 浜地文平 |
衆議院農林水産委員長 1966年 |
次代 本名武 |
先代 大島秀一 |
衆議院商工委員長 1960年 - 1961年 |
次代 早稲田柳右衛門 |
先代 広瀬正雄 |
衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長 | 次代 田口長治郎 |