三木俊治
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三木俊治 みき としじ | |
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生年月日 | 1932年1月29日 |
出生地 | 徳島県板野郡松茂町 |
没年月日 | 2009年11月24日(77歳没) |
死没地 | 徳島県徳島市 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
称号 |
勲四等旭日小綬章 正六位 レイリア市名誉市民 功労勲章(ポルトガル政府) |
親族 |
父・13代三木與吉郎(元参議院議員) 祖父・12代三木与吉郎(元衆議院議員) 曽祖父・11代三木与吉郎(元貴族院議員) |
第29-30代 徳島市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1985年3月4日 - 1993年3月3日 |
三木 俊治(みき としじ、1932年(昭和7年)1月29日[1] - 2009年(平成21年)11月24日[2])は、日本の政治家、実業家。徳島市長、阿波製紙会長。慶應義塾大学経済学部卒業。孫(次男の娘)は女優の三木理紗子[3]。徳島県板野郡松茂町出身[1]。
経歴
[編集]- 1954年 - 慶應義塾大学経済学部卒業。
- 1954年 - 第一銀行に入行。
- 1965年 - 第一銀行を退社。大昭興業専務取締役に就任。
- 1968年 - 阿波製紙の社長に就任。
- 1985年 - 徳島市長に就任。姉妹都市であるポルトガルのレイリアとの交流親善を尽くす。
- 1993年 - 徳島市長を勇退。徳島文化女子短期大学家政科客員教授(1998年まで)
- 1996年 - 第41回衆議院議員総選挙で徳島県第1区より自由民主党から出馬するが落選する。
- 1999年 - ポルトガルレイリア市の名誉市民の称号授与。
- 2001年 - 在徳島ポルトガル名誉領事に任命される。
- 2002年 - 勲四等旭日小綬章受章。
- 2005年 - ポルトガル政府より功労勲章を賜る[5]。
- 2009年 - 心不全のため徳島市の病院で死去。告別式はヤラカスシティホールで行われ、喪主は長男で阿波製紙代表取締役社長三木康弘が行った。生前は阿波製紙会長を務める傍ら、徳島日本ポルトガル協会顧問、財団法人阿波人形浄瑠璃振興会会長などを務めていた。死没日をもって正六位に叙される[6]。
市長在任中
[編集]- 1989年 - 市制施行100周年記念式典を開催。
- 1990年 - 徳島県文化の森総合公園が八万町にオープン。
- 1991年 - 中国丹東市と友好都市締結。
- 1992年 - 徳島市立徳島城博物館がオープン。
- 1993年 - 徳島県と香川県の両県を主会場として東四国国体が開催される。
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『新訂 現代政治家人名事典』510頁。
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、361頁。
- ^ “「花子とアン」に県人出演 主人公の養女役、三木理紗子さん”. 徳島新聞. (2014年9月14日) 2014年9月17日閲覧。
- ^ 『47都道府県別 日本の地方財閥』211頁。
- ^ 弊社会長三木俊治がポルトガル政府より叙勲
- ^ 『官報』第5226号7頁 平成22年1月6日号
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典:中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥』平凡社〈平凡社新書〉、2014年。
関連項目
[編集]- 古村啓蔵 - 妻の父。
公職 | ||
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先代 山本潤造 |
徳島市長 第29-30代:1985 - 1993 |
次代 小池正勝 |